双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

主の決断

|若旦那| |忍び|



この二匹、果たしてどうなのだろか・・・。
網戸越しの向かい合わせに、幾度か夕餉を食べさせてみたのだけれど、時折ちら見こそすれ、一応は各々食事に集中して居る様子。又、互いにフーだのシャーだのとは云わぬものの、忍びはピンポンダッシュ宜しく、網戸越しのジャブを繰り出しては飛び退いて、そうかと思えば一人遊びに興じ、若旦那は時折クルクル云いながらも、ジャブにジャブで応戦するなどして、じいと忍びを観察。警戒して居る風なのは、もっぱら若旦那の方だが、しかしながら忍びにも好奇心の半面、緊張や恐れが見て取れるなど、相変わらずの探り合いが続いて居る、と云ったところ。
斯様な具合でチビの日参を始めて、未だ二週間足らずだが、このまま埒が明かぬ気のするのは、杞憂に過ぎぬかも知れない反面、まんざら的外れと云えなくも無さそうで、双方の性質を想えばそれも無理あるまいな、と。


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そもそも、若旦那は気の良い奴だが、割りと気が小さく人見知り。生後間も無しの頃に孤児となった故、他の猫との接触が殆ど無いまま現在に至る。一方の忍びとて若旦那同様、生後間も無しで私に保護されて、猫社会、しいては他所の猫を知らぬ猫として育てられて居り、未だ物心も付かぬと云うのに、どうやら既に独立心の強い様子だ。ましてチビ猫となって戻って来たものとすれば、生前の爺様がひとりを好む猫(思慮深く、物静かな性質故)であったことなどから、同居と云うのはひょっとすると、彼らにとって難儀な事柄なのかも・・・とは、うすうす感じて居たのであった。こうした性質の猫と云うのは概ね、所謂”多頭飼い”(あまり好きな言葉ではないが、便宜上)の環境に向かぬと聞く。
元・爺様と、それのよこした猫。たとい互いに知った仲であれ、元来ひとりに慣れた者同士。狭い家の中で始終顔を付き合わして、何らかのストレスを抱えぬ筈が無いだろう。又、目下の心配事であるチビのウィルス感染の可能性、つまり猫エイズや猫白血病についても、先日是をお医者へ問うてみたところ、ウィルスの正確な有無は、生後六ヶ月以降でないと分からないとのことであり、そうなると、もし仮に双方がすっかり慣れたにしても、これから五ヶ月もの長きに渡って、部屋を隔てられ直接触れ合うことができぬ訳だから、是は是で別の種類のストレスを抱えることとなろう。切なくも実際、若旦那はこの状況に困惑して、度々落ち着かぬ様子を見せることが増え、忍びは忍びで、訳の分からぬチビなりに、やはり困惑から情緒不安定気味な様子だもので、実に気の毒をさせてしまって居るなぁ、と心が痛む。ああ見えて若旦那は、意外や繊細で勘の鋭いところが在るし、チビは未だ未だ心身共に発達段階。是が重なれば二匹とも体調を崩しかねず、そうなったら私は幾ら詫びても詫び切れぬ。己自身の身へ降りかかる事柄に関しては、滅法打たれ強いと自負して居るが、それがこと、己以外の者の身の上に及ぶと云うと、話は全く別である。
直感と云うのは、しばしば正しいことがあり、是がそうでないとは決して云い切れぬ。忍びを引き取ると決めてから、当然とばかり同居しか頭に無かったけれども、一旦冷静となって希望的観測を脇へ置いてみれば、現在のまま別棟で暮らしてゆく、と云う選択も在る、か。皆が無理をせず仕合せに暮らせる方法なら、それでも良いのじゃないか。若旦那は今まで通りで居られ、チビ助の店の物置部屋とて、雑多を片付け幾らか手を入れて整えれば、快適な住まいとなろう。当方の手間は少々増えようが、そんなものは主として、命を預かる者として、当たり前のことである。それに別棟と云ったって、内部に行き来のできる繋がりが無いだけで、同じ建屋の上と下。もし忍びにその気が在れば、天気の良い日中に店先に出るなどして、看板猫となって貰う、なんてのも妙案かも知れぬ。同居するばかりが全てではない。のんびりと様子を見つつ、いずれ同居ができそうならば、そのときはそのとき。そう思い至ったら、先刻までの不安も心痛もすうっと消えて、旅路に明るい光が差してきた。


不可思議な縁でめぐり合わせた、一人と二匹。良いじゃないの、仕合せならば。

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