双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

イヤダカラ、イヤダ。

|若旦那| |モノ|


いつぞやの新たな猫円座購入の云い訳を、すっかり草臥れた上、近頃では若旦那のみっちりした肉体を収め切れず、尻だの足だのとはみ出る一方の”つぶれキノコ”へ見付けた末、遂に猫円座は遥々海を渡って届けられたのであるが、肝心の若旦那ときたら、どうもこいつがお気に召さぬようなのだ。
北向きの窓辺に据えてあったキノコへ長年の労を労い、しかしながら、是は亡き爺さんの形見でもあるから、風呂敷に包んで押入れに仕舞った後、そうしてその後釜として、全く同じ場所へ新たな猫円座を据えた。早く馴染むよに、使い慣れた毛布も入れてやった。「良いねぇ。今度のは大きめだからゆったり休めるねぇ」ところが、である。嫌だ嫌だの一点張りなのである。そいつは困った。気に入りの枕だのクロちゃんだのを入れるなどして、こちらがあれこれ苦心するも「キノコを何処へやったのさ!」と頑なな態度は軟化を見せること無く、数日が経過して尚、消えたキノコを求めて駄々をこね回す始末。まことに口惜しいが、そうとなれば、やれ、仕方が無い。再び押入れから風呂敷を解いて草臥れキノコを元に戻すと、待ってましたとばかりに駆け寄り、無理無理に体を丸めて押し込む若旦那。
嗚呼、御免よ御免。そうだね。お前にとってのあれは、この家にやって来たその日から肌身に馴染んだ無二のもの。ライナスの毛布であり、又爺様の守護であるのかも知れないね。結局、買い求めたものの宙に浮いてしまった猫円座は、一先ず押入れの前に置いた。キノコの代わりにはなれなくとも、その内、気紛れに昼寝処の一つとして使ってくれれば良い。


+++



こちらは、未だ在りし日の姿を留めた、つぶれる前のキノコ原型。当初、若旦那がやってきたばかりの頃は、本来の使い道どおり中へ入ってぬくぬくと過ごしてくれたのだけれども、そのうちに何故だか上に乗っかって使うよになり、以来すっかり”つぶれキノコ”として、その役割を果たして居る次第。
元を辿れば、爺さんのねぐらとして買い求めたものであるが、爺さんにはとうとう使って貰えず終いであったことを考えると、使い道こそ誤っては居るものの、結果的には重宝がられて居るのだから、是で良しとすべきなのかしら。





こちらが、届いたモコモコ猫円座と同じ品。国内で同様のを探したものの、手頃な価格帯だとファンシィ過多なものが圧倒的で、そうでなければ見るからに安っぽかったり、なかなか想うよな品が見付からなかったため、米アマゾンにて購入。送料も含め三千円以内で、実に良い塩梅のが見付かった。寸法は小と中の二種から、迷った末に中を選択。ちょいとゆったりめの拵えで、是なら快適に過ごせることだろ、と。しかしながら、若旦那。余程に草臥れたキノコへ愛着を感じて居るのか、ちいともこいつに入ってくれぬのである。まったく変に頑ななところばかり、爺さんに似たものである。



+++


イヤダカラ、イヤダ。
窮屈だろうが草臥れて居ようが、是で良いのだ。

そうかい、そうかい。そんなにキノコが好きだったか。悪いことしたね。

<