双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

アランセーターを想う

|電視| |徒然|


NHK-BSプレミアム『旅のチカラ』は、糸井重里アラン諸島に編み物を訪ねる旅を観る*1。昨年のANA機内誌十一月号で、アラン諸島とセーターについて特集が組まれて居たのだけれども、其処で見掛けた人びとを再び見付けて、何だか嬉しくなった。
アランセーターについては、以前のエントリ(→)に書いたものが在るので、ほんの少々で恐縮だが参考になればと想う。


かつて島の一大産業であった手編みのアランセーターは、最盛期には百人を超える編み手に支えられたものの、世界経済の大きな変化や、編み手の高齢化などによって次第に衰退。現在ではその位置を、すっかり観光へ譲った格好となった。勿論、アラン・ニッティングの存在は島の象徴であり、観光にとっても今尚、重要な要素であることに変わりは無いが、編み手が人から機械へと代わったことで、その存続は工場での量産が主に担って居る風である。そうした事柄を背景に、『イニシマン』社のよな高級ニット製品会社は特別として、島のチェーン店に売られるセーターの大半は、島の外で作られる観光客向けの安価な量産品が占めるよになった。
これは嘆くべき事柄なのか、否か。確かに、寂しい事実であるし、世界中へ広まる内に一人歩きを始めたアランセーターは、今やすっかり島の人々の手から離れてしまった風に見えるけれども、裏を返せば、半世紀を経てようやく、島の人々の元へ帰って来た、とも云えるよな気がするのだ。本来、手編みのセーターが持っていた筈の、役割。意味。つまり、アランのセーターは、女たちが自分の家族のために編むものなのだ、と云うこと。商品としてのセーターを編む編み手は減ったかも知れないが、今でもせっせと家族のために、セーターを編む女たちは居る。決して多くはなくとも、娘や孫たちにも受け継がれて居る。
彼らの手仕事は、恐らく。決して現代の大量消費社会、そしてそれにどっぷり浸かった人々らの手に、渡るべきではない。市場に出て安く叩かれたり、量産を求められるべきではない。それを已む無く受け入れたがために、心を折り、生活を犠牲にした女たちが居た。編むことが、次第に喜びではなくなってしまうことの、不幸が在った。気紛れな経済と引き換えのそんな不幸を経て。産業となった手仕事が産業でなくなって。今ようやく、いちばん初めに戻って来ただけ、なのかも知れない。大切な家族や、その価値を十分に知り、だからこそ島を訪れ大切な一着を手にしたい、と願う人たちのためだけに、細々と編まれ続ける。それが最も相応しいのではないかしら。気付けばふと、そんなことを考えて居た。


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私のアランセーターたち、再録。




自分用に手元に残したもの、既に人手に渡ったもの。
色形、出来不出来もまちまちながら、何れも一着一着が大切な存在。
自分に、誰かに。きっと今冬もまた、糸を手繰りながら、ちくちく編むのだろな。

*1:もしかして、ほ〇日も兼ねてるのかねぇ...。

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