双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

猫の命名

|猫随想| |若旦那|


The Naming of Cats is a difficult matter
It isn't just one of your holiday games


猫に名前を付けるのは 難しい事柄です
それはとても 休みの日の片手間仕事というようなものじゃない
                   T.S.エリオット


私はこの詩の一節を伊丹十三氏の著書の中で知ったが、成る程。確かにそうであるのだろう。
猫の名付けは、実に悩ましくも実に愉しい事柄だ。昨年末、若旦那を引き取ることを決めたとき、迎え入れる支度云々よりも先ず、名前を如何にすべきか。如何な名前が相応しいか。珈琲を入れる間も、皿を洗う間も、風呂に浸かる間も、あれやこれやと思案したものだった。かつての猫たちについても同じであった筈だが、しかし是がまったく可笑しなことに、詰まるところは最後の直感、つまり、インスピレイションに勝るものは無いのかも知れぬなぁ、と云うことだ。それまで、ああでもないこうでもないと、様々に悩み考えあぐねて居たのが、実際に本人(猫)を目の前にして、面と向かって、その佇まいや行動、性質等を観察するちょんの間の、或る瞬間に、はたと思い付くのだから、何とも妙なものと想う。
既に彼岸へ旅立って久しい実家の雄猫ら。「タロー」「ふう」の何れも、今やそれ以外の名では想像し難い。昨年秋に逝った爺様こと「アーロン」は云うと、ちいとばかり事情が異なろうか。彼の両親の名であるところの「アロア」「ネロ」の両方を取り合わせたものだが、それがたまたま丁度、あいつにぴったりであったのに加えて、英語の字引でいちばん初めに記される男子の名と云う理屈も、なかなか粋じゃないか、と考えた結果だ。兎も角、総じて拙宅の猫らの名付けと云うのは、決して”休みの日の片手間仕事”でないにせよ、前述のインスピレイションとやらの手伝いによって、比較的すんなりと決定して居る風ではある。
ちなみに若旦那について申すなら「ゴーシュ」と「ピピン」二つの名を予め用意したが、実際に我が手で抱き、くるくるとした如何にも好奇心の強い眼や、ちいとも物怖じせぬ様子などを目にし、ふむ。こいつにはどうやら「ピピン」が相応しかろう、と確信した。*1それはその後の様子、つまり向こう見ずで悪戯で食いしん坊、おっちょこちょいの中に隠れた賢しさ等を見るにつけ、更に確かなものとなっていった。名が体を成すのか、体が名を成すのか。何れにせよ、猫の命名が主にとっての重要任務であることは、間違い無い。

*1:尤も、どのみち端からピピンに決まって居たのだろうけれど・・・(笑)。

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