双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

お前の居ない部屋

|爺猫記|



爺様の旅立ちから一夜が明け、午前中に亡骸を火葬した。出発前には、生涯を過ごした部屋の中をぐるり、一周して。晩秋の寒空高くに煙は昇り、午後。両の手におさまるくらいの、小さな白い骨壷に入って爺様は帰宅した。形ばかりではあるものの、それらしく設えた棚の上、遺影の隣に置いて眺めれば、ぎゅうと寂しさが押し寄せる。昨夜は籠の中の亡骸が其処に在って、おいと呼び掛けたり、触ったり、ちょっかいを出したりできたけれど、白黒の毛皮に覆われた、あの馴染み深い姿は、何処を探しても、もうこの部屋の何処にも居ないのだ。それだのに、痕跡は未だ其処彼処に漂って居て、アー坊と名を呼べば、にゃと答えるよな気がするし、布団の端をめくれば、すうと眠って居るよな気がする。餌場。押入れ。窓辺。この部屋の全てに。
Aちゃんには、気に入りの写真を刷ってあげた。家へ帰れば彼女には自分の犬が居るが、接する時間は爺様との方がずっと多かったから、半分自分の猫のよな気持ちで居てくれた。有難いことだ。実は爺様と私たちは約束して居た。誰も居ないところで、独りで逝かないでね、と。もし出立すると決めたら、その前に知らせを、合図を頂戴ね、と。そして爺様は、約束どおりにして逝った。恐らく、病気になるまで私は、主らしいことを何一つした試しが無かったかも知れない。世間的には不良主人だったろう。けれど誰より私に気を許し、誰より私を好いて居てくれた。不出来な主には出来過ぎた、実に素敵な、実に良い猫だったと、しみじみそう思う。



我が最愛の猫アーロンは、1999年の八月五日、従妹宅の猫であった父ネロと母アロアの間に生まれた。アー坊と初めて会ったのときの情景は、今でも鮮明に覚えて居る。五匹生まれた子猫の一匹を従妹から貰い受けることが決まり、様子を窺いに出向いてみると、子猫たちは各々が勝手にわらわらとやって居て。殆ど無秩序なその一団から一寸だけ離れたところで、マイペースに水を飲む、白黒の一匹が目に入って来た。それがアー坊だった。その後の様子も、他の兄弟猫たちが牛乳や缶詰を欲しがって騒ぐ中、アー坊だけは、一貫して水とカリカリだったし、子猫にして常に毛繕いの身嗜みを欠かさず、猫砂のならしも誰より念入りだった。一寸へんてこ。頑固だけれど温厚で、きれい好きで、賢くて。きっと私は最初に会ったとき、既にアー坊と決めて居たのだな。そうしてやがて私の所へやって来て。以来十二年間の殆どを、この部屋で過ごした。初めの一ヶ月程は表へ出してやって居たのだが、すぐ前の道路は車の往来が激しく、一度おっかないめにあったので、気の毒ながら家猫となって貰った。とは云え、窓から屋根の上に下りて過ごすのは日課で、道行く小学生から声を掛けられては、猫らしく媚を売ったりもしたものだ。雄猫のわりには小柄な方で、去勢した後も太ることは無く、鼻頭には、うっかり墨汁が撥ねてしまったみたいな、小さな黒い点が在った。
若い頃は内緒でこっそり仕事場に連れてくると、それはそれなりに寛いだりもしたのだったが、歳をとるに従ってより頑固となったのだろ。兎に角、自分の部屋がいちばんなのじゃ、とすぐに戻りたがって。たまたま半開きの玄関から脱走したところで、すぐに部屋が恋しくなって、数分もすれば自らの意思で戻ってくるのもしばしばだった。餌はカリカリ上等。しかしながら銘柄には一切拘らず、余程でない限り、カリカリであれば何であっても良く食べた。冬の朝。のっそり起きてくると、朝日のあたる窓辺に香箱組んで、ぬくぬくとあったまるのが好きで。午前中は東側の出窓。午後は大抵ソファで、寒いと寝床。夕刻は、西側の窓辺に置いたタムの上が、其々気に入りの場所だった。救急車のサイレンと地震が大の苦手で、風呂は湯船に落っこちて以来の風呂嫌い。室内に新しいものが加わるのも嫌い。特に家具類などの大物を動かされると、不機嫌な顔して露骨にしつこく動線を確かめた。一度それが良いとなったら、梃子でも変えない。などなど。確かに拘りの強い一面も在ったけれど、頑固と云っても、決して偏屈なのじゃない。単に変化を好まず、物事の好きと嫌いがはっきりして居るだけのことで、概してアー坊の気立ては大層やさしく、穏やかなものだった。
病院に通い始めて凡そ二ヶ月。ねえ様よ、もう良い。ワシはもう十分にして貰った。とでも云うよに、爺様は往生際良く、始末良く、自らの人生に幕を下ろした。恐らくは、私の懐具合をも案じてくれたのだろな。もう病院代払わんでも良いぞ、と。又、実は来週の月曜。組合の日帰り旅行で引率係の一人となって居たのだけれど、この状況では実際無理だろなと思い、近々断る手筈だったのが、爺様はそれもちゃんと考えに入れて居たのだと思う。なに、予定なら断らんでも大丈夫だ、と。今の今まで、一度たりと病気にならず。厄介事も起こさず。ちょいと臆病では在ったけれど、おっとりと、とっちゃん坊やな性質で。ちいとも手の掛からぬ、主の手を煩わせぬ出来た猫は、最期の最期まで出来た猫だった。飛ぶ鳥、跡を濁さず。
嗚呼、我々は何であったろう。互いに親子でも無く、姉弟でも無く、まして恋人などでも無い。アー坊とねえ様。そう、ふたりは奇妙な組み合わせの同居人であり、何より素晴らしき友人、相棒であった。とびきりの。アー坊よ。もしお前が生まれ変わって、また別の猫の姿で私と再会したとしようか。それが幾匹の中に紛れて居ようとも、安心せい。大丈夫、何十匹だろうが、私は必ずやその中からお前を探し出せるよ。だから、また会うその日まで。おさらばだ。
私は今。十二年もの間、一度と消えたことのないものの居なくなった部屋に暮らす。線香につけたマッチで、三ヶ月ぶりに煙草へ火をつけてみたけれど、やけに舌に苦かった。決して哀しいのじゃない。寂しい。このぎゅうとつぶれるよな寂しさは、言葉に出来ぬ。この部屋は、お前の居ない部屋となった。


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皆様へ。
喪中につき、新年のご挨拶はご遠慮申し上げます。



ホビ野アーロン。
去る十一月二十三日に、十二歳にて永眠致しました。
本年中に賜りましたご厚情に、心より感謝申し上げますと共に、
明くる年も変わらぬご交誼の程、宜しくお願い申し上げます。


弔いに、在りし日の姿を集めたスライドショー(→■)でもご覧頂けましたなら、故人(猫)も喜ぶことと存じます…。

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