双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

砥げば清々

|暮らし|


ここ暫くの間、台所へ立つ度、どうにも腑に
落ちぬよな何か、或る種のぎこちなさを
もやもやと感じて居り、それが今日になって、
嗚呼。是だったのかと、ひとり合点がゆく。
包丁である。
震災のばたばたと、その後の落着いた安堵やらで、
刃の鈍りを見過ごして居たのである。すっかり。
なまくらの包丁は、切れ味は元より、心をも鈍らす。
どうりで、のんべんだらり。気抜けて居た訳だ。
刃が整えば、自ずとまな板の前に背筋もしゃんとする。
午後の仕事がひと段落した後、前掛けの紐を締め直し、
砥石に十分水を吸わせて、いざ、五丁のなまくらを砥ぎ
始めた訳なのだが、しかし刃物を砥ぐ作業と云うのは、
つい時を忘れて無心になるもので、精神の平穏には
もってこいであるな、と常々想う。余計は何も考えず、
心静かに只砥石へ刃を滑らせる。そして良い塩梅に
仕上がって、例えば大根へ当てた刃が真っ直ぐに、
小気味良くまな板へ落ち、まことにきれいな切り口の
様を見るときなど、是が実に清々とするものである。*1


時折、他所のお宅にお邪魔し、それがどうにかして
台所をお借りする成り行きになると云うと、気の毒にも
おざなりとされて居る包丁へ出くわすことが、まま在る。
勝手通じる間柄であれば 「一寸、この包丁酷いよ!」
などと云うこともできようが、そうでない場合は、
ぎしぎしと手応えの重さを、哀しく呑み込むしかない。
包丁の切れ味は、拵える料理の出来へも通じるし、
もっと頓着されて然るべき事柄、と想うのだけれど。


鋼の菜切りに出刃。ステンレスの文化包丁など。
私の持つ包丁は、何れも高価な品ではないけれど、
日々の仕事に欠かせぬ道具として、使い勝手良く、
手入れだけは怠らぬよに、と心がけて居る。それは
道具への愛着と感謝は勿論だが、何より、すぱんと
気持ち良く切れると云うのは、仕事に心地よいリズムを
生み、しいては精神衛生上、大変宜しいのである。

*1:刃をするっと引くだけの、簡易式の砥ぎ機が在るけれども、アレには信用が置けない。

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