双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

私が子供だった頃

|徒然| |電視|


昨日の朝刊にて、出崎統氏の訃報を知る。
享年六十七。



その夜、『劇場版・あしたのジョー2』 など観ながら、ふと想う。




出崎氏の近年の仕事については、残念ながら殆ど存じ上げないし、その他の事柄についても、決して詳しく知る訳では無いのだけれど、主に私が子供時代を過ごした、七十〜八十年代における氏の仕事の数々は、今尚心に深く刻み込まれて居り(→ )、私にとってそう云う作品と云うのは、もしかすると、出崎統宮崎駿両氏の手掛けたものだけなのかも知れないなぁ、とも思う。
私は ”子供だからこの程度で構わない” と云う姿勢が嫌いである。たとい子供に向けたものであれ、否。むしろ子供に向けるからこそ、嘘をつかず、容易さに逃げず、真摯に取り組み拵えるのが、筋。同じ人間である子供への礼儀であると考えて居る。人を殴れば顔が歪むのも、傷付けば血が出るのも、生きて居れば当然のこと。血が出る場面は駄目だとか、アンパンマンの頭を挿げ替えるときの配慮だとか、子供の観るものだから、難しいことや面倒な心理描写も抜きで良かろう…などと云うのは、大人の都合なのではなかろか。肝心なのは、物語の本質がしっかり描かれて居るか、否か。作品としての完成度、深度なのであって、血だの何だのは、そこをきちんと見ない者の屁理屈であるよに思う。人の親では無い者が云うのも、些か気が引けるのだが、常々思うのは、子供と云うのは小さな人間なのだ、と云うこと。確かに、小さきものに庇護は必要であり、故に大人と同じに扱われることは無いが、ちゃんと人格を持った一人の人間なのである。だから、これから先の長い道のりに待ち受ける事柄や、生きると云うことについて、我々人間の先輩たちは、庇護を免罪符に都合の良い嘘をついてはいけない。勿論、其々の年齢に合った説明の仕方は在るけれど、誤魔化しや嘘はいけないのだ。
いつだったか、小僧先生と一緒に 『ガンバの冒険*1を観て居たときのことである。物語は丁度、ノロイたちとの闘いの始まった辺り。島ネズミ太一の裏切りで米俵が火口深くに落下し、共に番をして居たイカサマを残して、高倉ネズミの一郎が逝ってしまう場面だった。ふと横を見ると、小僧先生が声も出さずに泣いて居た。唇をかみ締め、拳をぎゅうとしながら、泣いて居た。子供には分からない、なんてのは大人の都合、大人の言い訳でしかない。子供にだって分かるのだ。その気持ちを表す言葉は未だ知らなくとも、細かな部分までは理解できなくとも、作り手が真剣に訴えるものは、小さな人間にだって、ちゃんと伝わるのだ。だから拳をぎゅうとして、涙を流すのだ。そうだよ、先生。人生って愉しいことばかりじゃないんだ。苦くて切なくて、辛いことの方が多いんだ。だけどね、それだけじゃないから、この世は生きるに値するものなんだよ…。
かつて私が子供であった時代。出崎氏の作品をはじめ、良質なアニメーションを観て育つことができたのは、実に仕合せであったと思う。良質な作品には、主人公たちの成長と共に、観て居る子供も成長させる力が宿る。そこで起こることが、まるで我が事のよに一緒になって、わくわくして胸が躍ったり、心が痛くなったり、切なさに涙を流したりする。そしてそれは大人になってからも、ずっとずっと残ってゆくものだ。今の子供たちの観るアニメはどうだろう。ふと考える。


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『宝島』 『あしたのジョー』 『家なき子』 辺りも廉価版にならないかしら…。

*1:ちなみに小僧先生のご贔屓は、イカサマ。(血は争えんな)

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