双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

簡素で明朗

|手仕事|


件の 「猪谷さんの靴下」 (→)ですが、ありとあらゆる半端毛糸をほぼ使い切る形で、その後も幾つかを編み終え、既に日々の欠かせぬ要員となって居ります。

左から一号。二号。四号。
(三号と五号は其々、然るべき方々の元へ嫁いでゆきました。)

何れも数回の洗濯を経て適度に目が詰まり、5〜7ミリ程縮んだところで落ち着いた模様。*1そうやって履く毎に、益々足へ馴染んでゆくのだ。



編み針は6号針を使用、糸は其々適当に見繕って。
(踵とつま先には、中細を一本足してある。)

左から
一号:継ぎ合わせた並太に、同じく中細一本を引き揃え。
二号:継ぎ合わせた中細三本を引き揃え。
四号:グレイの並太に、緑の中細一本を引き揃え。


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成る程!の踝部分。

目数の増減により、踝の凹凸へ実にぴたりと添う。


しかし。幾ら手持ちの余り糸を、適当に見繕って編んだとは云え、我ながらこの色の取り合わせは、如何なものかと…(笑)。*2


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TBを下さったYokota_Yoko氏が、猪谷靴下を編んで居られます。
http://d.hatena.ne.jp/Yokota_Yoko/20110203/1296702212
(落ち着いた色合いが、渋めで素敵です。)



|本|


さて。その猪谷氏の暮しぶり、人となりの窺える本書。僅か七十頁程の作りではあるものの、既に絶版となった著書より抜粋された文章や、氏自らの手による貴重な写真も、ふんだんに盛り込まれて居る。特に小屋好きにとっては、山小屋に関する頁が愉しく、各小屋小屋の見取り図、工夫、設えなどの詳細も交え、頁の多く割かれて居るのも嬉しい。不便は不便なリに、身の回りの必要なものは何でも自分で拵えてしまう、その柔軟さと行動力。更には、齢七十を過ぎてから運転免許を取得 (!) し、バンを改造して (トラベルカー、ハウスカー) 是を住いとし、日本各地を回って居たと云うのだから、いやはや。実に素晴らしい。長きに渡って自力・自前で生きると云うのは、昨日今日に始めた行いでどうにかなる類のものではない。強靭な背骨をしっかりと持ち、ぶれずに立ち、いつも何かを探求し、既に在る物事を見直して居るからこそ、なのだな。そして何より、体が資本。健康第一である。
本書の 「山小屋の感じ」 と云う記述の中で、そんな猪谷氏の価値観の一端に触れることができるかも知れないので、以下に記しておこうと思う。

私は初め、金のかかったものはいい感じになって、金のかからないものはいけないのかと思ったら、郊外の住宅よりは、もっともっと金のかからない、山の中の百姓家などに、なかなかいい感じのものがあったり、さらに極端な例を挙げれば、この上もない安物だけで拵えた炭焼小屋などに、いや味のあるものを、私はまだ見たことがない。
(中略) それから私たち素人は、必要を越えたものは作らないという考えを持つことが肝心だと思う。或る場所で、或るものが必要で、それを拵えると非常にいい感じが出ても、他の場所で、必要でないのに同じようなものを拵えても、ちっとも調和しないし、その調和しないものが集まると、またいや味が出るものではないかと思う。
(中略) 私は、山小屋の狙う感じは、すべてが簡素で、明朗なものでありたいと思う。


「十分に念を入れて違った特色の在る」 建物には 「何か楽しみないい感じがある」 とする一方で、何処も似かよった郊外住宅の中には 「どことなく、いや味のある、悪く言えば歯の浮くような感じのするものがある」 とし、又 「安物」 を 「高物らしく装う所に、いや味」 が出るのであろうと、氏は考える。それはその構造自体についても同じで、「十二分に構想を練っておいて、むしろ控え目に工作をしておく」 のが最も良いとし、「考えることを少ししかやらないで、小器用な工作をし過ぎ」 れば、いや味となるのであろう、として居る。成る程。是は山小屋に限ったことでなく、身の周りの様々な事柄にも、同様に通じる理念ではないかしら、と深く頷く。
ところで。猪谷氏の名前、六合雄(くにお) の ”六合(りくごう)” には、天地と東西南北。六つの世界を抱合する宇宙の意味が在るのだと云う。何とおっきな名前なのだろ。


”間抜けた部屋” と ”三本脚のテーブル” とを備えた、”簡素で明朗な” 自分の小屋の持てる日まで。健康第一。こま鼠のよに、日々こつこつと。

*1:凡そ25cm弱。当方、チビの大足なのである。

*2:二号別名・スズキコージ。四号別名・蓬餅。

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