双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

猪谷さんの靴下

|本| |手仕事|


編み物を嗜む方であれば大抵は、中途半端に余ってしまった毛糸をお持ちかと思う。或る程度の残量なら、他の糸と合わせるなどして、小物を拵えることも出来ようが、ほんの僅かばかり残った余り糸と云うのは、使い道にも難儀することが多く、結局、保存袋へ仕舞われたままとなりがちなのではなかろか。私の手元にも、長さ太さ其々まちまちの余り糸がいい加減に貯まり、はて。これらをどうしたものかしらと、いよいよ考えあぐねて居たところ、例によって 『暮しの手帖』 が助けとなった次第。


暮しの手帖 2010年 04月号 [雑誌]

暮しの手帖 2010年 04月号 [雑誌]


昨年の春号。日本スキー会の草分けである、猪谷六谷雄氏考案の靴下が紹介されて居たのを思い出した。猪谷氏の靴下は、長年の試行錯誤の末に形となった、非常に興味深い靴下。そもそもが、既存のものには満足できず、山小屋から生活道具まで。身の回りのあらゆるものを、使い勝手の良いよに自らの手で作り出したり、改良を加えた人であったとのこと。このスキー用に考案された靴下も同様に、丈夫でぴったり足に合うものをと、自ら研究と改良を重ねたのだと云う。

編針の太さや毛糸の太さ、本数を変え、選択して縮む割合を計算し、小さな足の人から大きな足の人までそれぞれの寸法に合わせた目数を発見する。これらを細かく計算してテストし、八年かけて靴下編みの表を完成させた。

全く編み物の知識の無かった猪谷氏。姉に習った一般的な編み方では、理想的な靴下に仕上らぬことが分かると、その後はひたすら、自分流の編み方を追求してゆくのであるが、氏の残した編み図と云うのが是また独創的で、見慣れぬ記号に数字の付いた、差し詰め化学式の表の様相。女学生時代の赤点三昧であった化学の授業*1を思い出し、殆ど条件反射的に脳が理解を拒むので、いやはや困った。しかし、よくよく説明を読み込んでゆけば、履く人の足の大きさや、好みに応じて如何様にもなる、実に考え練られた方法であることが、ぼんやりと分かってくる。兎に角。この氏考案の謎の記号表を、文章と図解とで説明した紙面に従い、先ずは実際に編んでみるしかあるまい。
少しずつ余って居た並太糸を適当に繋ぎ合わせたのへ、同様の中細糸を引き揃え、六号針で編むこととした。編み始めて改めて分かったのだが、是が本当に良く出来て居る。形は、ほぼ直角に近いL字型。足首の手前までは一目ゴム編み。其処からはメリヤス編みとなるが、足首部分の目を減らすことで、ぴたりと添うよになって居る。その後、踵に進むに従い、再び目数を戻す。そしてこの踵部分こそが、猪谷流。一種の引き返し編みとでも云えば良いだろか。要領を得るのに、一度の編み直しを要したものの、みっしりと隙間の無い丈夫な仕上がりに、成る程成る程、と感心しきりの方法なのだ。他にも、土踏まずの部分に減らし目を施し、踵と爪先には補強のため、中細糸を一本足して編むなど。至る所の細かな工夫に成る程。
さて。出来上がった靴下を早速に履いてみれば、自分の足の凹凸へ絶妙な塩梅でぴたりと添う、この心地良さよ。ぽかぽかと暖かく快適で、大満足である。引き揃えた中細糸が杢調となり、繋いだ色がランダムなボーダー柄となるのも面白い。それに、一旦飲込んでしまえば、是程自在で明瞭な編み方も在るまい。余った毛糸の有効な使い道となるし、何しろ、編んで愉しく、履いて嬉しい。
猪谷氏の靴下を履いたまま、再び記事に目を落とす。上蓋の穴を二つにし、尚且つ燃料が効率良くまわるよに、内面積を小さく改造した薪ストーヴ。その上へぶら下がった手編みの手袋や帽子。簡素な台所。りんご箱で拵えた抽斗。「必要を越えたものを作らず、すべてが簡素で明朗なものでありたい。」 そんな生活哲学の元、自らの手で建てたと云う赤城山の山小屋は、こじんまりと住い易そな小屋で、何とも素敵なのであった。

*1:唯一是が引っ掛かって、危うく二学年へ進級できぬところだった(笑)。

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