双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

性(さが)と云うもの

|徒然|


厄介事と云うのは、しばしば。誰かが憎まれ役となることで、案外あっさりと事態の収まるものである。
勿論、引き受けた者にとって、それは本意ではないし、できれば深く関わらずに済ませたい、とは思う。しかしながら、一旦首を突っ込んでしまえば、黙って見て居ることもできず、次第に苛々となってきて、ええい!これ以上見てられん!と。そんなところかも知れない。
いつだったか。三つ下の従姉妹が家出を決行したとき、それを焚き付けたのが私であると、不本意ながら誤解されたことが在った。家出の原因は知って居たが、事の経緯やら詳細やらを明るみに出せば、従姉妹と家族との関係の悪化することが目に見えて居たので、私はあえて黙し、弁解をしなかった。よって未だに、叔母は私の所為だと信じて居る筈で、しかしながら、その誤解によって一つの家族が壊れずに済んだのだし、結果的には良かったのだ、と今でも考えて居る。また、実に云い辛く気まずい事柄を、誰かが云わねばならぬのに、誰も云い出せぬよな状況にも弱い。その場の雰囲気が 「ホビちゃん、頼む。云ってくれ!」 と無言の懇願を、じりじり訴えかけてくる。役割と云うのは、一度引き受けたが最後。遠く小学校の学級会から始まり、後々の人生にまで付いて回るものなのだ。
何も善人ぶってのことでは無い。第一、そんな柄でもあるまいて。ただ単に、長々と事が収まらぬ様を見て居るのが腹立たしいのと、それ以上面倒に巻き込まれたくないのと、何よりも。私自身の大切な時間と労力とを、下らぬ煩いに費やしたくないだけのことである。特に身内間の揉め事などでは、私のよな者が適役となる。配偶者も子も居らず、嫁だ姑だ何だかんだと、縛りもしがらみも少ないから、端から見れば、暢気で気楽な独り身風情。ましてこの性分だ。憎まれ役の他にも、力仕事に電化製品の配線、固い瓶の蓋、細かな交渉事などなど。皆がやりたがらぬ面倒な事柄は、大抵 「だって、ホビちゃん出来るでしょ?」 と云う理由無き前提の元、ほぼ自動的にこちらへ回って来る。望む望まぬに拘わらず、恐らくは生まれついて、そう云う ”性(さが)” なのであろう。
ただ、近頃。そんな役目ばかりを請け負うのが、ちいとばかり切なくなってきた。損得勘定ばかりで生きて居る訳じゃあないけれど、それが当たり前であるのが、やっぱりしんどいときも在る。己が性とは云え、因果なことである。全く、恩に着せてやりたいものだ。

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