双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

1996

|回想| |旅|


「Bって、寂しい奴なのよね。きっと」
彼女はそう云った。その夏に知り合った友人Bは、一つ歳上で、私に意地悪だった。十のうちの七くらいは。他の人(特に女性)には殆ど無差別にやさしかったが、私には素っ気無く、話し方はいつも意図的な謎かけみたいで、大抵分かり難かった。私が英語を母国語としないのを、承知の上でのことだ。Bの知らない友人らと会ったり、出先に誰かと気安く話したりすれば、帰り道には必ず嫌味ばった、意地の悪い物云いをされた。たかだか一つしか違わぬ程度で、いっぱしの保護者気取りのつもりなのか。しかしそのくせ、いい歳をした大人が、中学生の女の子みたいに子供じみて居た。

Dear hobbiton


今僕は、前に一度君を連れてったあのダイナーの、あのカウンター席に座って居る。壁の時計は午前5:35。
僕のコーヒーは僕の体にとってのアラーム時計。僕の顎鬚は僕の顔にとっての髪の毛みたいなものだ。だけど、或る人は嫌うし、或る人は好く。人間っておかしなものだね。
僕の側の男はハンバーガーを食べてる。思うに、ハンバーガーを食うには、あまりにも早すぎるのじゃないか?僕が最後にハンバーガーを食べたのは、確か5・6ヶ月も前のことだ。これって、ロマンティックなこと?僕は卵2個に、ハッシュブラウンとフライドビーンズを付けたのを注文して、卵は ”オーバーミディアム” にしてくれるように頼んだ。でも、いつだって決められっこない。
― 僕はうんざりして居るのか?それとも憂鬱なのか?
スペイン語デオネガイシマス!
Mi camisa es azul y el mundo es un lugar oscuro.
それにしても、何て奇妙なことだろう。こうして君に手紙を書き、朝食を注文して食べて居るのが、前に一度君を連れて来た店の同じカウンター席で、しかもたった今、ウェイトレスの一人がトム・ウェイツの 『スモール・チェンジ』 をプレーヤーに入れたよ。
そう。実を云うと、僕はもうあのデリでは働いて居ない。今、全く働いて居ない。働かずに居るのは良いかも知れないけど、お金が無いのはちいとも良くない。良くない。
僕の使ってるこのペンは日本製だ。もしや君が忘れていったものじゃないか、と僕は推測して居るのだけど。
僕は1972年3月23日の午前1:45にフロリダのオーランドで生まれた。猫が好きで、でも猫のタトゥーは入って居ない。君は?
何だか不安で落ち着かない。全てが不確かで。幻滅で。あやふやで。無関心で。怠惰で。非生産的で。でも一方では、ほっとしても居るんだ。少しの希望。ゆるやかで。不思議で。将来への可能性は、まだ繋がってる?うん、多分ね。
君の英語はときどき文法的におかしくて、ときどき理解できないこともあるけど、何を云いたいかは分かる。そして僕の日本語は、幾つかの挨拶と幾つかの単語しか知らない。
僕の好きだって云った女の子のこと、憶えてる?(彼女はもうあの店には居ないけど、一昨日本屋で見掛けたよ。)君はこう云ったよね。「あなたは彼女を好きなのと同じに、他の誰でも好き。でも、あなたがいちばん好きなのは、あなた自身。」 そうかも知れない?うん、そうかも知れない。
あぁ。あの渓谷の斜面をスケートボードで駆け下りたら、どうなるだろう。きっと未だ宙に浮かんだまま、着地できずに居るのじゃないだろうか。君が云ったみたいに。ねえ、人は飛ぶことができると想う?
君がまたこの町を訪ねることが在れば、そのときにはいつでも、好きなだけ僕らの家に滞在すると良い。だって、どこよりも安全で快適な宿泊所を提供できるってことは、僕にとってすごく光栄なことじゃないか?必ず誰かは家に居るだろうし、猫たちも居る。
今、別の大人たちが側に座って居る。きっと医者だと思う。彼ら、子供たちの物覚えの早さに驚いて居る。暗かった空がうっすら明るくなってきて、少しだけ霧が出てきたみたいだ。
丁度このカウンターに、誰かが引掻いたテディベアが描いてある。君の腕のとはちょっと違うけど、これも同じクマだ。何て沢山の不可思議な一致。共通因子。
ここから遥か遠くに、君みたいな不可思議を引き寄せる友達が居るってことは、きっと素敵なことなんだと思う。


Sicerely  B.N  Feb/28/1997


帰国して数ヶ月が経った或る日。不意にBから手紙が届いた。厚めの紙ナフキンの裏に書かれてあって、それは手紙と云うよりも、何だか、浮かんでくるあれこれの断片を繋ぎ合わせた、Bと云う人そのものに想えた。
手紙の書かれたダイナーは、以前に一度。Bが連れて行きたい場所が在る、と云って連れて来られた場所だった。アメリカの街にならどこにでも在る、何の変哲も無い終夜営業の店だったが、不思議と穏やかな居心地の良さが在った。 「ここへはいつも独りで来るんだ。」 Bは確かそう云い、コーヒーを飲みながら、ぽつり。呟いた。 「ねえ。僕ら、ダニエル・クロウズの漫画みたいじゃない?」 そしてあのときもやっぱり、トム・ウェイツがかかって居た。



「彼は恋人とも友達とも長く続かない。いつも。彼自身が問題なの。自分勝手で、自分が大好きで。ちやほやされてないと不安なのね。街中の誰もが彼を知ってるみたいに見えるでしょ?でも、その中の何人が本当にBを知ってるのかしら…。
お互い知り合って長いけど、複雑過ぎて、どれが本当の彼なのだか、今でもときどき分からなくなる。彼自身も分かってないの。でもあなたには、心の中を見られたと感じたのだと想う。きっと怖かったんじゃないかしら。自分を知られるのが。」



果たして、私はBの心を覗いた者、だったのだろか。
偶然、街角でスケートボードを抱えた彼が、友人たちとじゃれ合うのを見掛けたことが在った。通り向かいを歩く私に気付いたBが、そのとき、ふと一瞬、曇らせた顔へ見せた、目。私は何故か、その目に言葉無く責められたよな気がして、只、後ろ手に手を振った。

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