双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

女の面の皮

|雑記|


いつものよに、つらつらと新聞を読んで居たら、何かの広告なのだろか。些かうろおぼえではあるのだが、夫に云って欲しい言葉と称し、既婚女性300人へ問うたらしきアンケートの結果とやらの記されて居るのが、目に留まった。 「ありがとう」 やら 「ごちそうさま」 など、比較的想像に難くない回答に混じって、案の定 「好きだよ」 とのベタな回答も挙がって居たのだが、*1先の二つについては、既婚者でなくとも大方の心情は察することができよう。
父や弟など、身近な亭主たちを見れば良い。おい、と頼まれて茶を淹れたところで、改まった礼など滅多に聞いたことが無いし、食事が不味いか、或いは気に入らなければ、幾らでも不平は口にするが、旨いときには只、黙々と箸を動かすだけである。つまり、出された皿を黙々と食べて居ると云うのは、即ち、旨いと云うことなのだが、それを知りながら、あえて言葉を求めるか。言葉無き仕草の中へ答えを認めて、にやと頷くか。その何れかの違いなのかと想う。
さて、話を戻そう。上から順繰りに、一番下までやってきたところで、食べかけの葡萄の粒が、危うく喉につかえかけた。
「きれいだね」
参った。つまり、こう云うことであろうか。我が亭主の口から 「きれいだね」 と云って欲しい = 自分のこの美しさを、ちいとも亭主が解さぬ不当さを嘆いて居るのだ、と?しかし、考えてもみよ。人からきれいだと云って貰うには、当然ながら、その人自身が実際に美しくなくては、まるで成立し得ぬお話である。自らの美貌に対して、その不当な扱いを訴えることの許される人、*2と云うのは、よれよれの部屋着とも、しまむらとも、でんとソファへ寝転び、菓子を食い食い韓流ドラマを観ながら、だらしなく過ごす午後とも、てんで無縁の筈である。たとい主婦であろうと、毎日欠かさず美容院へ出向いて髪を整え、うっすら寝化粧を施し、身支度は品良く常に完璧で、一分の隙すら見付からぬ筈である。其処へ ”パンが無いなら、ケーキを食べれば良いのに” と口走れる気位の高さが加われば、更に申し分が在るまい。
私風情なんぞ、もし仮にであったとて 「あなたはきれいだ」 などと云う人の在ろうものなら 「あんた、視力は達者か??」 「脳波は無事か??」 と先ず何かの異常を確かめたいし、或いは、財布の中身を振って見せ 「二千円しか入ってないヨ!」 と情けない命乞いをするだろう。何、己の器量を冷静に知ってのことだ。
ちなみに17%もの人が、亭主に云われたい言葉として 「きれいだね」 を回答して居る。と云うことは、だ。100人のうち17人もの既婚女性が、先述の事項を満たした上で、自分の容姿は平均よりも上等であり、自分は美しいのだ、と自負して居ることとなろうか。
いやはや、随分と面の皮の厚いことだよ。

*1:そんなもの、しょっちゅう口にされては、真実味も有難味も失せると云うものだよ。奥さん

*2:しかし。”本当に美しい人”は、自らの美しさなんてものに無関心で無自覚で無欲なのであり、故にそもそもが、こんな下世話で馬鹿げたアンケートなんぞにゃ答えまい。

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