|徒然|
本日付の新聞にて、曽野綾子氏の
語りの中へ、次のよな一文を見付けた。
沈黙に耐えられない人間というのはろくなことがない。第一、自分を深く考える時間がない。話すことは、会話の中で相手を見たり、自分の位置を決めたりすること。沈黙は誰と比較するものでもなく、自分はどうなるのか、どうするのかを考える。他人の静寂も侵さない。*1
饒舌であることだけが、全てではない。
沈黙を知ることでしか、解らぬことが在る。
そして、もしも。
沈黙が、文字通り沈黙の中だけではなく、
言葉の中にも息づくものであるならば。
それを言葉にすることは、果たしてできるのだろか。