双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

時計

|モノ|


抽斗の小箱の中へ、懐中時計をひとつ見付けた。
見付けたと云っても、すっかり忘れて放って居た訳ではない。一昨年まで現役であったのが壊れてしまい、市内の時計屋へ持って行ったところ、こう云う古いのは部品も無いし、万一直せるにしても、修理代が高くつくから新しいのを買った方が良い。とか何とか云われたもので、やむを得ずすごすごと持ち帰り、以来どうしたものかと仕舞ってあったのだ。
そう、元々が古い時計だ。知人宅より、亡くなったお爺さんが使って居たのを貰い受けた。手巻き式で、恐らくは戦前のシチズン製。ふと思い返せば、高校入学の祝いに買って貰ったのも、やはり懐中時計であった。電池式だが、あれもシチズンだったろか。アンティーク風の作りの新しい品で、文字盤の下半分には月齢を告げる、メリアスの 『月世界旅行』 みたいな顔の付いたお月さんが、大きくあしらって在った。残念なことに、是は引越しの何れかで紛失してしまい、今となっては如何にすることも出来ないが、壊れた時計に関しては、直せるものなら直して使いたい。何しろ愛着も在る。腕時計も一つ持って居るのだけれど、ベルトが当たる所へ汗をかくのが嫌なのと、華奢な造りがどうも己の手首に不釣合いの気がして、滅多につけることはない。
ところが。平素より世話となって居るSさんがいらした折に、何気無くその話をこぼしたところ、私が預かりましょうか?と仰る。聞けば何でも、山を一つ二つ越えた隣町に時計店を営む伯父さんが居り、大層腕の良い時計職人上がりの人で、古いものでも丁寧に修理してくれるのだと云う。是こそ渡りに舟である。是非ともお願いします、と時計を託して数日後。実に早々と、Sさんが直った時計を持って届けに来て下さった。大方の見立て通り、壊れて居たのは古い竜頭で、先ず是を交換し、ついでに小さな傷のついた硝子も取り替えたとのこと。部品は長年のストックの中から、合うものを選んで使い、分解したついでだからと、きれいに掃除までしてくれたのらしい。*1
受け取ってしみじみと掌に乗せ眺めやり、やがて耳元へ時計の背中を近付けると、チチチチと小気味良い秒針の働く音が聞えた。やあ、久しぶりだったね。また宜しく頼むよ。

*1:一万円以内で収まれば御の字…と考えて居たのに、実にその半分以下の代金で直して頂けた。有難い。

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