双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

日曜日のカレーライス

|雑記|


子供の頃、我が家でカレーライスが食卓へ上るのは、大抵土曜日であったよに想う。*1バーモントの甘口、少々薄目でさらりとしたのは母の好みか。豚コマ、じゃがいも、玉葱、人参が具材の、至極オーソドックスなカレーだ。*2一方、大人だけで構成される父方の祖母宅はジャワカレーで、是は必ず、年季の入った楕円のステンレスのカレー皿によそって出されたものだった。冷水の注がれたコップに匙の入って居るのも、縦四つ割りにしたゆで卵の添えられて居るのも、我が家のそれとは違って居り、その形式美も含めた上で、むしろこちらの方が好きだったのではなかろか。
我が家のカレーライスがいちばんだ、と譲らぬ人の在る一方で、私のよに、他所のお宅の方が好きだ、と云う人も稀に在る。近所に住まって居た同級生のKちゃんの家は、こじんまりした民宿を営んで居り、遊びに行ったついでに、ここではしばしばご飯をご馳走になったものだったが、さすがに民宿だけあって、おばさんは料理上手な女性であったから、勿論カレーライスだって美味しかった。牛であれ豚であれ、ごろっとした塊の肉が入って居て、とろりと濃厚なのが嬉しかったのを憶えて居る。ところが、Kちゃん自身は自分の家のカレーが好きではなかったと云うことが、つい数年前に明らかとなった。おばさんも全く知らなかったらしいのだが、どうやらKちゃんにとってのカレーライスとは、合宿生など団体のお客の来たとき、ついでに出されるものであって、お母さんが、わざわざ家族のために拵えた料理では無い、との想いが在ったが故に、他所の家で食べるカレーライスの方が好きだった、と云うのが理由であった訳だ。それも充分に時を経た今となっては、ほろ苦くも子供らしい想い出を含んだ、一家の笑い話の一つであろう。
しかし考えれば考える程、カレーライスは不思議だ。これだけ様々の家庭料理の在る中でも、カレーライスの在り様は、とりわけ揺ぎ無いよに想えやしまいか。大抵の人は寛容をもってカレーライスを愛し、しかし同時に、是だけは譲れぬと云う、愚かしくもいとおしい小さな信念のよなものを、各々の胸に抱いて居たりする。人の数だけカレーライスの好みや、其処へ寄せる想いが存在するのである。そして又、カレーライスと云うのは、主に幼少期の体験に由来するところが、恐らくは大きく、故に其々の好みや想い入れを決定付けるのも、やはり其処なのではないか、と云う気がしてならないのだ。冒頭でカレーライスと曜日について触れたけれども、それも幼少期の体験に由来するものだ。我が家の場合はたまたま土曜日であったために、それ以外の曜日にカレーライスを食べると云うと、今でも少々妙な心地がするのは因果なものである。


今日は日曜日であったが、昨日作りそこねたカレーライス熱が治まらぬ。カレーならお店にも在るのじゃないの?と云うお言葉が飛んできそうだが、何しろ、市販のカレールーで拵えたのが無性に食べたかったのだから、是ばかりは仕方が無い。いつだかの 『暮らしの手帖』 でケンタロウ氏の拵えて居たのが、実に好みの味であったので、再び是に倣うこととした。鶏ガラスープを仕立て、炒めた玉葱と二種類の市販ルー*3を加えて暫し煮込んだところへ、素揚げにした野菜と焼き色を付けた鶏モモ肉、硬目に茹でた卵の入ったカレーライスは、土曜日ならぬ、日曜日のカレーライスとなった。

*1:二日目のは別として。

*2:後に甘口 → 中辛

*3:ディナーカレーとジャワカレーを半々。

<