双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

最後の通信簿

|徒然|


数日前、id:hebakudanさんが亡くなられたことを知り、只ぼんやりと途方に暮れて居る。途方に暮れながら、それをどう受け止めるべきか分からなくて、仕様も無い事件簿なんかに、だらだらと時間を割いて居た。患って居た病が悪化して入院されると書いてらして、けれども暫しのお休みの後には、またいつもの歯に衣着せぬ、小気味良い屁爆弾節を読めるものとばかり想って居た。想って居たのだ。
屁爆弾さんの名前を初めてお見掛けしたのは、昨年。確か馴染みのゲンノさんの所であったと記憶して居るのだけれど、違ったろか。(それでなければ、日頃の徘徊先として居る、そのご近所の何方かの所。)そこでの取り交わしの妙に心惹かれ、以来ちょくちょく 『血止め式』 を覗かせて頂くよになって、そしていつ頃であったか。何かの拍子に、屁爆弾さんのアンテナへ拙日記が登録されて居るのに気付いて、毛の生えた心臓がひっくり返った。何しろ、大変な読書家であり、人や物事、文章などへ向けられる厳しさ(それは常にご自身へも、容赦無く向けられて居た)や辛辣さ、揺ぎ無い佇まいと審美眼をお持ちであったから、きっと是は、何かの間違いなのじゃないかしらん??畏れ多くて恐々とたじろぎつつも、実は密かに嬉しかったのを憶えて居る。
この雑記帖の、果たして何が屁爆弾さんに引っ掛かったのか、残念ながら今となっては知り得ることができないし、恐らくは、鯵フライの小骨くらいに相違無いのだとも想うが、あの方は亡くなられる少し前まで、この辺境に星型の足跡を残して下さって居た。星は兎も角、私の方から 『血止め式』 へコメントを残したと云うのは、実に数える程度だけれど、屁爆弾さんからは、度々こちらへ言葉を頂いたものだ。大抵は、ブラジャーの間に春雨が挟まっただとか、何だとか。そんな他愛無いエントリへの、愉快な感想であったよに想う。最後に頂いた言葉は四月二十三日のエントリ。チップスターの懸賞に応募したぜ、と云うだけの、一見変哲の無い、至極他愛ない話であったのに、其処へ寄せられた言葉は意外なものだった。

「思ったほどかわいらしくなかったかも」、のところは、何でもないことのようだけど案外大事な発見だと思う。たとえば、自分の書くもの、語る話をあまりに自分が愛しすぎてしまっている人の文章と、その内容に向けていた熱を自分で少し冷ましてみることを知っている人の文章とでは、他人から見ると読みみやすさがずいぶん違ったりする。他人のことはおいてけぼりで自分だけどこまでもハマるヒタるオボレきるような表現ってハタ目にはワケわかんないですもんね(笑)。ほびさんの感じられたような、いわば「冷(さ)め」の侵入、そのことを自分で発見できることって私はすてきなことだと感じます。


何だか通信簿みたいだな、と想った。通信簿の下に先生が書いてくれる、あの 「今学期は給食係をがんばりましたね。」 みたいだな、と想った。きっと私は、屁爆弾さんの目に ”出来の悪い生徒” として映って居たのかも知れない。出来ないくせに居残りが嫌いで、宿題もいい加減で。それでも先生は、ぽつりぽつり、星を付けてくれた。その基準は分からないけれど、頭をくしゃっとやられて 「ホビ、次の宿題もしみじみやれよ。」 と云われた気がして、嬉しかった。けれど、もし、先生の点数を端から念頭に置いて書いた、魂胆の嫌らしい宿題であったとしたら、先生はすぐさまそれを鋭く見抜いたことであろうし、もう二度と姿を見せてはくれなかったであろう。尤も。そんな器用な芸当をやってのける才覚や抜け目の無さと、そもそも縁の遠かったが故に、今もって同じ所をぐるぐるとやって居る訳で、先生はそこいら辺も、ちゃあんとお見通しだった気がする。
出来の悪い生徒に、屁爆弾先生は最後の通信簿をくれた。最後の通信簿には、先生が最後に伝えたかったことが書かれて居たのだな。是が最後となってしまったと知って、何とも遣る瀬無い心持ちになったのと同時に、改めて心の深くに留め置いた。また、ご自身が病魔に苦しんで居られる只中に在って、我が母の病状を気遣い寄せて頂いた言葉は、とてもあったかで優しくて、胸がきゅうとなった。
屁爆弾さんと旧知の間柄にある皆様には、遠く遠く及ばぬのは百も承知でありながら、何故こうしてあの方のことを書いて居るのか。たった半年足らずの出来の悪い落ちこぼれ生徒が、恐縮ながら末席の末席、座布団の端っこへなど、ちょこりんと座ろうとして居るのを見付かりでもしたら。 「十年早い!」 と、先生の拳骨飛んで来るんだろな。


心より。謹んでお悔みを申し上げます。

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