双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

重力

|映画|

しょせん見せ物だけど、
映画は作る側から一体、
何なのだと、せつなく、やるせなく、
つらく、しきりに、ねんごろに
思いあぐね続けてきた
十何年であったのである。*1


神代辰巳特集 『青春の蹉跌』 を観る。ショーケン演じる主人公は、いつも何処かが冷めて居て、いつも面倒くさそうな顔をして居る。野心は在っても、積極的に自ら動く訳でも無い。成り行きに任せて流されるまま、何となく事が運ばれてゆくのを、只他人事のよに眺めて居る。熱が無いのだ、ちいとも。だから、ショーケンが劇中幾度と無く呟く 「えんや〜とっと〜」 が 「松島ぁ〜の〜」 から先へ進む事無く、延々と繰り返される様は、出口の無い丸い輪っかの中を、たらたらと走り続けて居るみたいな彼の日常に、鈍く重なって見えるのだ。
桃井かおりショーケンが雪の斜面を滑り落ちてゆく場面には、想わずぞっとする。事実、撮影時に予定して居た地点を疾うに越えて、崖淵ぎりぎりまで滑って落っこちそうになったのを、ショーケンが必死で堪えたのだと云うから、何とも凄まじい話だが、神代は神代で、それを黙って撮り続けたのだと云う。役者が死を演じるにあたって、本当に死と薄皮一枚のところを見たのであれば、あの場面の醸す只ならぬ気と云うのは、当然であるのかも知れない。邪魔となった挙句に殺され、置き捨てられる桃井かおりは、どうしようもなく憐れな女なのだが、彼女の肉体の生々しさ、重力を持ったその重さだけが、皮肉なことに、彼の日常の中で唯一。否応無く。現実として認めざるを得ないものであったのじゃなかろか、などとぼんやり想う。たとい、彼自身が望まなかったとしても。ならば、檀ふみを背負うショーケンがふと覗かせる、あの苦く遣る瀬無い顔の理由は、果たして何なのだろ。
物語の最後で、ショーケンは実に唐突に、実に呆気なく命を落とすのだけれども、この男は死んだ後であっても、恐らく。出口の無い輪っかの中を延々と、面倒くさそに。えんや〜とっと〜を呟き続けねばならぬよな気がするのだなぁ。オープニングのタイトルバックも秀逸だが、仕舞い方もまた素晴らしい。

*1:シナリオ集に残された、神代氏自身の言葉。

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