双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

分類不能

|徒然| |映画|


先日、散歩の途中で書店へ立寄って感じたのだけれど、雑誌が売れぬ売れぬと嘆かれる昨今であっても、相も変わらず女性ファッション誌ばかりは、お盛んと見える。事実売れて居るのかどうかはこの際別として、廃刊したものが在るかと想えば、そのちょいと見ぬ間に新たなものが出て居る、と云った具合に、何やら必死の形相なのだ。
ハイソな淑女が対象の老舗誌。表紙も目にちかちかと煩いギャル向け誌。一体アナタ、給金幾ら貰って居るのヨ!と想わず問いたい、ファッション・ヴィクティムな方々向けから、果てはどれがどれやらさっぱり区別のつかぬ、ナチュラル系とやらまで。そうかと想えば、弁当箱やらトートバッグやら。雑誌が主役であるのか、はたまた付録が主役であるのか、もはや正体の分からぬものも数多在り、それらが高々山積みとなって居る様は、何とも奇妙なものである。いやはやどうも。そんな訳だから本棚の前に立つだけで、どっと疲れてしまうのである。
そもそもが私自身、そうした所謂ファッション誌の類を買い求める習慣を持たない。唯一の例外と云えば恐らくは、女学生の時分に毎号愉しみにして居た 『Olive』 くらいのものではなかったか。つまり、ファッション雑誌の提案するよな ”一週間着回し術” であるとか ”今コレを着ろ” などの事柄には、全くもって興味の湧かぬ質であるから、十年以上も昔に買い求めたシャツなんかを、今尚こうして平気で着て居るのだし、 ”何処其処の服” と云うのもやはり同様に頓着が無いから、自分の気に入れば、何であろうと構いやしない。好みと云う点についてだけは、実に白黒はっきりして居るものと想うが、しかしながら、是も年毎の流行とはまるきり無縁である。確かに若かりし頃には、髪を赤だの青だのに染めもしたし、今にして想えば、相当恥かしいなりをしたのであろうけれども、あれは云ってみれば、一種の勉強みたいなものだから、仕方が無かろうて。ちなみに、もう滅多に履く機会の無くなったマーチンの八ツ穴(色は勿論、チェリーレッドよ)は、未だ靴箱へ入れて取ってある。
と、ついつい前置きが長くなってしまったけれども、先日、mikkさんのジョン・ルーリーについて書かれたエントリを読んで、懐かしい共感を覚えたのと同時に、妙に腑に落ちたことがあった。私が長年執着してきた、おじさん趣味と云うのは、ひょっとすると、ジョン・ルーリーの影響が少なくない気がするのだな。ジャームッシュの初期の映画はどれも皆好きなのだけれど、中でもとりわけ 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』 の影響は大きかった。映画そのものの佇まいは勿論、細かな所がいちいち格好良いのだもの。紳士モノのV開きカーディガンだとか、従姉妹の無造作な感じだとか。挙げ連ねたら切りが無いけれど、何しろ、ジョン・ルーリーの、あの飄々とした風貌と仕草に、あのなりだ。野暮ったさとスマートさの塩梅が実に絶妙で、一目見て痺れたなぁ。*1
以来気が付けば、ファッション誌だの流行にでは無く、映画や音楽の中へ。物語の印象的な一節や過去を写し取った欠片の中へ、心にビビビと来る己の気に入りを探すよな娘となって居た。尤も。それが何処でどうしてそうなったのか。おじさんや爺さん、或いは婆さん地味たなりの大人となってしまった経緯は、今もって我ながら不明であるのだが…。


*1:ダウン・バイ・ロー』 のトム・ウェイツも素敵。最後の分かれ道のシーンで、二人が着て居たものを取り換えっこするのが好き。

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