双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

味わい

|映画|



この映画を初めて観たのは、二十年程前の深夜の字幕映画枠であったよに想う。画面の美しさは云わずもがな。登場人物たちが皆其々に面白くて、何度も何度も見返したものだ。尤も、若い頃はエキセントリックな青年・ジョー*1がすこぶる魅力的と想えたものだけれども、この手の文芸ドラマには必ず出て来る 『高慢と偏見』 のMr.ダーシー*2だとか 『いつか晴れた日に』の大佐だとか、何しろ元来がああ云う殿方に心惹かれる質であるから、歳を重ねて改めて観てみると、一見高慢で鼻持ちならぬだけかに想えたシシルが、どうも嫌いにはなれない。兎に角、一部の人を除いて皆が皆してジョージを好きだから、其処へ来るとシシルは物語の筋上、邪魔者なのであリ、ルーシーから一方的に婚約を解消され、恐らくは今までに一度たりとも折れたことの無いであろうプライドを、見事にばきっとへし折られ、しかしながら、人前では何食わぬ顔して涼しく振舞わねばならぬ、彼の高慢の哀しさよ。だからこそ、独り階段に腰掛けて、優雅にしてでかい図体をちいちゃくしながら、ちまちまと靴紐をいじる姿に、ついきゅうとなるのだ。
また、ルーシーの従姉妹・シャーロットのことも然りで、何かと口うるさい年増の独身にして、過剰な心配性、気位ばかり高くて地味で融通が利かず、陰で”可哀相なシャーロット”と囁かれる通り、やることなすこと気の毒な風なので、いちいち苛々とさせられるのだけれど、その気の毒さ故に、何だか嫌いになれぬのだ。彼女はそんな自分のつまらなさを承知して居り、恐らく、できることなら変わりたいと心の何処かで願って居る。尤も、フィレンツェで一緒になった奔放な女流作家に、少しずつ感化されては居るのだが。
その他にも、ジョージの父親やアラン老姉妹、ビープ牧師にルーシーの弟フレディなど。愉快で気の良い人々に事欠かず、ヘレナ・ボナム=カーターは、仏頂面の画になる数少ない女優であり、最後の眺めのある部屋は、やっぱり素敵なのである。

*1:この頃のジュリアン・サンズは、間違い無く素敵だった・・・。

*2:異論無くコリン・ファースの当たり役(BBC版の方ね)と想うが、『アナザー・カントリー』 のジャドも相当に捨て難いのである。

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