双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

霧のむこう

|電視| |本|


先週末に放送された 『須賀敦子・霧のイタリア追想』。
後からゆっくり観ようと想ったのだが、今回も録画に失敗。*1とは云え、こんなことも在ろうかと、当日はちゃんとテレビで放送を観て居た。番組自体は、須賀敦子と云う女性の人生を、ざっと早足で辿った内容で、生前の須賀を知る人々が彼女を語り、ナレーションと映像と。その合間に作品の朗読が挟まれる、と云った風。しかしながら、たったの一時間では、やはり物足りなかった気もする。できることなら、一時間の一回きりでは無くて、フランス篇、ローマ篇、ミラノ篇などと云う風に、須賀の人生の其々の時期を、数回に分けてじっくり。腰を据えた造りの番組として貰えたなら、どんなにか良かったろうにと想うのだけれど。
そう云えば、番組の中で生前の須賀を語った、印象深いエピソードが在った。イタリアを引き上げて帰国し、エマウスの家の活動を始めた須賀。そのエマウスの廃品回収の作業の途中で、己の汚れた真っ黒の掌を、じっと見つめて座る須賀の、その眼差しと掌との間には、ひどく距離が在ったと云う。またその姿は何処か。自分に合わぬ靴や洋服に、ぎゅうと窮屈に身体を押し込めて、自分から無理に合わせて居るよに見えた、と。後に須賀自身も語って居る。あのエマウスの時期を、無我夢中の情熱を、少しでも執筆に当てて居たならと想うことは在る、と。エマウスでの活動は、結果的に須賀の探して居たものではなかった訳だけれど、しかしそれもまた、彼女の歩いた道の途中の。”寄り道” の一つであったのかも知れない。
寄り道はときに、思いの外、長くかかってしまうことがある。須賀の作家活動が六十歳を迎えてからであったのは、決して遅咲きだとか、偶然だとかではなかったよに想うのだが、どうだろか。きっと須賀は道の途中で、あちこち寄り道をしながら、ゆっくりしっかり歩いて、ようやく執筆へと辿り着いて。そうして書き始める頃には、言葉は、題材は、彼女の中で充分に熟し切って、既に完成されて居たのではなかろか。まるで後は只、書かれることを待って居たとでも云うよに。彼女の体験が噛み砕かれて、まるきり自身の一部となったとき、その時期が訪れて。それがたまたま、六十と云う年齢だったと云う気がするのだ。
いつも考えることだけれど、須賀敦子と云う人は生涯 ”歩き続けた” 人である、と云うこと。彼女には常に ”道”を探し、”靴” を探し、ずっと歩いた人であったのだと想う。旅人のよに、修道女のよに。頑なに、辛抱強く。須賀の書くものの、その厳しさと孤独と霧の静けさの奥には、やわらかでふくよかな優しさが滲んで居る。全集の装丁の佇まいそのままに、静謐で美しい。それは作品全てに貫かれた、須賀自身の揺るがぬ魂の佇まいだ。もしかすると、こんな風な想いを寄せられる作家は、彼女だけかも知れない、ふと、そう感じることがある。初めて読んだときの、あの感覚。霧のよにすうと静かに包み込んで、深くに沁み込んで。ぴたりと足に合った靴みたいに、ずっと探して居た目印みたいに。嗚呼、この人だ。この人なんだ、と心が震えた。
放送の最後の頃に、生前須賀が出演した番組のVTRが流れ、彼女の肉声を初めて聞いた。初めて聞くその声には、朗らかで活発な、少女のよな響きが在った。



霧のむこうに住みたい

霧のむこうに住みたい


霧のむこうには、何が待って居るのだろ…。

*1:拙宅はCSの別番組を録画して居たので、実家に頼んだところ、HNKはNHKでも、教育では無く総合が録画されて居た…。母!番組表見て気付いて下さいよ!

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