双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

始末の良し悪し

|雑記|

月曜の休みは散髪に出掛け、秋風に耳元も
さっぱりと清々しくなって、実家に立ち寄る。
隣接する父方の大伯母宅は、大伯母が施設の
人となってからと云うもの空家、ちょっとした
ゴミ屋敷となって居ったため、仕事の空いた
父らが、先週より大ざらえの最中なのであるが、
かねがね目を付けておいたものには、威勢良く
処分される前に、差押さえ宜しく、紙切れでも
貼り付けておかねばなるまい、と物色がてらに
手伝いへ加わることにした。先週末、2tトラック
の荷台に山程積んで、随分の量を処分したとは
聞いた筈なのだが、それでも未だこんなに。*1
昼を廻って、父らは丁度一息入れて居るところ。
以前より目を付けて居た小ぶりの水屋は、経年の
痛みこそ在る居るものの、根気良く束子で洗えば
それなりとなるだろう。手拭いをほっかむりして
腕をまくり、中のガラクタを片付けること暫し。
引き戸と抽斗を外して、上下を分けて外へ運び、
水場でガシガシ洗い始めると、たちまち水が黒い。
束子の小気味良い音に俄然張り切り、全てを
洗い終えた頃には、寝室の和箪笥へ移る体力は
残って居なかった。あれは次に来たときだなぁ。
一先ず紙切れだけ。ぺたりと貼って、茶をすする。


正札の付いたまま山積みの服。
包みの掛かったままの贈答品。
棚に溢れる程貯まった包装紙にビニル袋。
押入れに詰め込まれたボロの数々…
すする茶の合間に、あれらゴミの山を浮かべ、
己の始末についてしみじみと考える。
暮らすと云うことは、同時に、モノとどう付き合うか
と云うことでもあるのかも知れない。私自身、
暮らしの中に少々の無駄を持つことについては、
大いに結構として居るのだけれども、しかし
それとて度を越せば、後々己に懸かってくる訳で、
自ずと、始末について考えずには居られまい。
常日頃より、物を持ち過ぎぬよに。
また、持つべきは良く選び考えるよに。
つくづく、始末の良い人でありたいものと想う。

*1:いやはや、実に身につまされるなぁ…。

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