双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

細波

|徒然|


人が生きて居る間には、幾度かの”転機”と云うのが訪れる。向うからひょいと舞い込むことも在り、或いは、何かの節目で自らが拵えるべきときも在る。何れにせよ、その先の人生に深々と関わる、大切なきっかけ、手懸りのよなものかも知れない。今までの自身の身の上に考えてみると、恐らく転機は二度在った。
一度はこの仕事に身を置いたとき。その次は、今現在の店を構えることを決めたとき。その二度共が、ひょいと舞い込んだきっかけに、こちらが心づもりを決めて腹を括った、と云う形だろか。想えば、それも節目に在った気がする。十数年前は未だ高円寺に住まって居た。住まって居たその数年の間に、こつこつと金を貯め、仕事もすっぱり止めて海の外へ旅に出た。懐の蓄えの空になる日、いつとも云えぬ終わりまで。そうして帰ってきて、さて、これからどうしよか。と云う丁度のところへ”転機”が訪れ、そこから二年ばかり。大家の理不尽に心身共に疲弊して進退を考えて居たとき、再び”転機”が訪れた。私にとっての”転機”と云うのはいつも。こちらがそれを求めるときに、誰かが。ほら、と差し向けてくれるものなのだろか。考えてみると、機を見過ごしたり、或いは気付いたところで、うずうずと決めかねたりなどして居たとしたら、”今”は無かったよに想う。どうやら機にも相性と云うのか、ぴんと来るものと、そうで無いものとが在るらしい。
何故私は、ここでこんな話をして居るのだろか。数日前、旧知のAさんより或る話を聞いた。何でも、Aさんの知る年老いた女性より、近々娘と一緒に暮らすことになったので、できれば今現在の住まいを処分したい。そこで誰か探してはくれまいか?と頼まれたとのことであった。聞けばその家と云うのは、実に、私の実家のすぐ近くの元食堂であった。嗚呼、あすこなのか。
至極変哲無い小さな食堂で、店を仕舞ってからもう二十年以上も経って居るのだけれど、幼い頃は其処へ良く食べに出掛けたものだったな。丼ものが美味しくて。白い上っ張りに三角巾の女将さんはきれい好きで、店内はいつもこざっぱりと気持ちが良かったなぁ。そうか、あの女将さんがあすこを手放すのか。話のついで、何とは無しに売値を聞いて驚いた。確かに随分と古い物件ではあるが、それにしても、土地付きで僅かに云百万と云う。*1
ふと考える。私は街場生まれの街場育ち。ちいとばかり強引ではあるが、この田舎町を東京に例えるなら、私の実家の在る所は、差し詰め亀戸だとかあの辺りに当たるだろか。そんな所で育った者が、こうして練馬の辺りみたいな所へ、店を構えて住まって居るとする。縁在って移っては来たけれど、人の気風も土地柄も佇まいも。やっぱり、下町の人間にこの場所は、時折切なく感じることが在るのだ。何れは街場へ戻りたい。そんな風にうすぼんやりと考えて居た、と云うことに今更気付いて、どきりとした。この店の返済の終わるのが、あと四年と少し。それから先の身の振り方を、そろそろ考えねばならぬときなのかな。とは、一昨年辺りから、うすうすと感じて居たことではあった。
しかしながら、どうしたものか。私が自身のこれからを考えるとき。それはいつでも、独りで生きてゆく姿ばかりで、夫が居て子供が居て、と云う先の姿はちいとも浮んではこない。我ながらおかしなものと想うが、はて。どうしてなのだろ。叔父や大叔母らなど、身近に歳をとって尚独り身の者が居て、それをずっと見て来たせいなのかも知れないけれど。それは兎も角、所帯を持つにせよ、持たずに居るにせよ。こうして四十を間近に控えて、そろそろ自身の暮らし向きや心づもり、始末のことなどを、しみじみと考える時期に入ったのは確かと想う。
件の食堂の話は、もしかしたら三度目の”転機”なのだろか。今は未だそれが、こちらの求めに誰かの遣したものかどうかは、知れない。ただ、この心に沸き起こる細波が、いつもの転機のそれと良く似て居るよな気のするのは、只私の想い過ごしだろか…。
一つだけ確かなこと。私にとっての縁とは、いつも。一方が望むだけでは成されぬもの。其処には必ず不可思議な導きが在る、と云うこと。

*1:勿論、不動産にしては、と云う意味でですよ(笑)。

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