双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

勉強

|雑記| |着物|


ここのところ何やら、方々より頻繁に着付けを頼まれる。頼まれると云ったって、お免状を取ったのでも、正式な教室へ通ったのでも無いから、まことに恐縮なのだが、こちらも良い勉強となるので、都合のつく限りは快く頼まれることとして居る。

着付け。礼装や晴れ着など、高いお金を払って着付けをして貰って、それが生憎の補正と紐とで雁字搦めで、ぐったり疲れてしまった…と云う経験を過去に一度でもしたことの在る人は、以降、着物に懲りてしまうことが多いと度々耳にする。実に残念なことだが、それも当然か、と感じないことも無い。現に私自身が以前に一度。弟の結婚式で、式場抱えの着付け師の方に着せて貰ったことが在るのだけれど、只で無くともずんぐりした体型を、必要の無い過剰な補正でぱつんぱつんにされた上、これでもかと云う程ぎっちり。締めに締め付けられて、結果、お世辞にも美しいとは云えぬ己の着姿に、鏡の前でがっかりさせられた苦い記憶が在る。
だもので、頼まれて着付ける際には、その人の体型を考えて、どうしても手直しが必要と想われる場合にのみ、最小限の補いを加えるだけに止め、後はその人の人となり、雰囲気に沿うよにして。出来るだけ着崩れぬよに、着姿と着心地の両立を図れるよに。自分なりの手工夫を心掛け、動作のちょっとした心得だとか、気になる部分の直し方なども一緒に、口添えして差し上げることとして居る。

数年前だったか。披露宴会場の化粧室で、豪華な振袖を着たお若い娘さんの半べそをかいて居るところへ、たまたま出食わしたことが在った。具合でも悪いのかと想って訳を訊くと、そうではない。用を足すのに着物をどうして良いのか分からず、困り果てて居ると云う。あら、それは気の毒にね。長いお袖は帯の脇に挟んでやって、着物は上の方から順番に開いて、えいっとまとめれば良いのよ。そう教えてあげると、ぽっと頬を赤らめて、小さく礼を云った。誰も教えてくれなかったから…と。
常々想う。こうした歳若い娘さんなどは特にそうだが、普段より着物に殆ど縁の無い人に着せてあげるのであれば、ほんの些細なコツであるとか、所作のことなども一緒に教えてあげねば、大変に気の毒である。お手洗い云々は勿論、例えば襟が浮いたら下から襦袢を引っ張るだとか、脇がだらけたらおはしょりの下を引っ張るだとか。そう云うことを予め知って居るのと居ないのとでは、心のゆとりが全く違う。ゆとりが在れば恐々せず、堂々と。晴れ晴れとした心持ちで着て居られる筈だのに、着物に慣れぬ人が相手だからと、どんなことが在っても一分の着崩れ、一本の皺すらも許さぬよう、きゅうきゅうのがちがちに着付けてしまえ、と云うのは、はて。如何なものだろか、と。

誤解の無きよう申し上げるが、勿論、着付け師の方皆が皆と云うのでは無い。ただ、着付けて貰う人は高いお金を払って着せて貰うのだから、着付けに当たれば良し、そうでなければ泣く泣く諦めると云うのじゃ、あんまりだと想うのだ。折角の着物を着るときは、晴れやかな愉しい心持ちで居て欲しいし、着物って良いな素敵だな、そんな風に想って欲しい。こうした事柄を常に念頭に置きつつ着せて差し上げることで、着た人に喜んで頂くと云うのは、実に実に有難いことである。


|本|


大久保先生直伝のコツが大変に分かり易く、初心者さんからベテランさんまで納得のゆく内容に、成る程ねぇと目から鱗の一冊。痒い所に手の届くあれこれが満載なのだが、どうして今まで知らずに居ったものか、帯をねじらぬ(結ばぬ)お太鼓はすっきり姿好く仕上がる上、これなら大切な帯も傷まないものなぁ。

<