双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

小屋暮らし

|徒然|

つまるところ。
理想の住まいは 『小屋』 であるのかも知れない。*1衣食住に事足りる最小限に、幾らかの余裕を加えた程度の。近頃はもう、それで良いのじゃないか、と云う気がして居る。
昔からどうした訳か、居心地の好いと感じられるのはいつも、こじんまりと簡素なしつらえの、小さな空間なのであって、間取りが凝って居たり、あんまり広々した所だったりすると、かえって身の置き場に困ってしまって、どうも落ち着かない。それは今でも変わらないのだが、はて。何故、小屋なのか。
広さや大きさと云った違いだけで考えるのなら、別段、小屋でなくとも小さい家だって構わぬ筈だのに、やはりそうでは無い、小屋に惹かれると云うのは。ふと考えてみる。夏の小屋も、海辺の小屋も、山小屋も。小屋と付くのは概ね季節的なもの、もしくは仮の、或いは何か理由を持つもの、と云う意味合いが色濃い気もする。晩年のデレク・ジャーマンは、終の棲家として最後に小屋を選び、トーベ・ヤンソンは、夏の住まいに小屋を持った。存命中には叶わなかったけれど、ヒアシンスハウスは、道造が静かな週末を過ごすための、ささやかな理想を形にしたものだ。ふむ。ならばそもそも小屋と云うのは、定住のための形では無いのかも知れない。
また、かつての漂泊の旅人らも、辿る旅路の先々に、こうした小屋の形をねぐらとし、或いは此処から何処かへ、何処かから何処かへ。いつとは決めぬ、いつとも知れぬ次の旅立ちまでの、仮の住まいとしたことだろう。けれども、私は漂泊の旅に暮らす身では無いから、そうして小屋小屋を渡り、流離い歩くことはしない。やはり小屋は定住の場所、住まう所としたいのだと想う。かと云って、何も人里離れて、仙人然と暮らすつもりも毛頭無い。むしろ、街の風情からは離れずに、ただ。喧騒から少しだけ外れたよな場所に、静かに小さく。心安らかにつましく暮らしたいものだ、と遠く想い馳せて居るだけ。
贅沢は云わぬ。凝った造りも要らぬ。お勝手と、簡素だが日当たりの宜しい居室。それに、寝台が置けるくらいの広さに充分。縁側とささやかな前庭がちょっと在れば、尚良い。漂泊者たちへの淡い憧憬が、心を小屋に向けさせるのだろか。それとも。単に、年季の入った偏屈の虫がそうさせるのだろか。

*1:あくまでも独りで住まうなら、と云うのが前提ではあるが・・・。

<