双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

死に場所を見つける

|本|


貧乏だけど贅沢

貧乏だけど贅沢


沢木耕太郎氏の対談集を読む。聞き手が沢木氏だから、話の軸は旅にまつわるものなのだが、話す人の分野によって、またそこだけにとどまらぬのが、其々に興味深いところ。プロ雀士・田村光昭氏との対談では、麻雀行脚時代に、漁港町の鉄火場まがいの所へ出掛けて打って云々だとか、年間の稼ぎのロスを博打で補うため、年間計百日以上はマカオに滞在するだとか。 「よく殴られたりしましたよ。いきなり広東語で怒鳴りつけられて・・・」 などなど、結構物騒な話を飄々淡々として居て面白かったのだが、その中でも印象深いのは、やはり、健さんだろなぁ。*1そもそもが世間一般、高倉健と云う人は、俄かに私生活の浮かびづらい人と想う。勿論、普段の健さんサラシに着流しとも無縁であろうし、つい、どんぶりの端っこを摘んで持ってしまったりはしないだろう。それでも私の中では 「自分、不器用ですから」 それなりに無骨で格好良い人なのだろな、と。それが、役者になった動機が金欲しさだっただの、養成所ではダンスが余りにも下手過ぎて、頼むから見学して居てくれと懇願されただの、ハワイが大好きだの。『ローマの休日』とか 『昼下がりの情事』 みたいな、元気の出るよな映画がやりたい、などと云って、私の喉に大福を詰まらせたかと想うと、次の頁では、今すごくヤクザかテキヤがやりたい、と云う。ついさっき 『ローマの休日』 って云ったじゃないか(笑)。何だかもう、全くもって掴み所の無い人だもので、くにゃあっと頭がとろけて、全身から力が抜けてしまう。
そして、対談の最後の頃。高倉さんの未来はどんな風に見えて居るのか?と聞かれて、健さんはこう答えた。

高倉:何も見えていませんね。僕はついこのあいだまでは、メキシコのモーテルでからからになって死んでたよ、なんていうのはかっこいいななんて思っていたこともありましたけど、いまはそういうのはいやですね。


沢木:いまは?


高倉:いまはね、そうですね、いまだったら、アクアラングで潜ったままぜんぜん出てこないというのがいいですね。なんだかカリブ海に潜りに行ったまんま上がってこないよ、というのが一番いいですね。


沢木:・・・・・・・・。


沢木氏から言葉を奪ったのは、収録された対談の十人の内、この健さんだけ。*2

*1:対談中の健さんは結構饒舌で、しかも妙に嬉しそうなんだ。ちょっと怖いくらい(笑)。

*2:計二回。

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