双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

沖縄旅日記 (3)

|旅|


[一月七日:読谷村牧志界隈]

さわさわとしたり、ざざあっとしたり。読谷の森の中を渡る風は心地良い。鳥のさえずりが、調子を合わせるよにして、風に重なる。「やんばるって感じでしょ〜」 嗚呼、そうか。 ここで生まれるやちむんは、この場所に良く似て居るのだ。おおらかで、素朴で、のびのびとして。絵柄の大きさにも拘わらず、ちいともそれがうるさくないどころか、入れるものも、盛るものも選ばない、懐の深さが在って。自然の営みが息づいて居る。この場所でしか生まれ得ぬ器なのだろな。初めて訪れた沖縄の、初めて訪れた場所で、初めて出遭った人々と、穏やかなテーブルを囲んで、和やかにゆんたくして居る。やちむんに惹かれた理由の答えが、ふわり。心の真ん中に触れたよな気がした。
テーブルの上のお茶請けの隣には、大きな青いパパイヤが三つ、ごろんと転がったまま。どうやって食べるのですか?と尋ねたところ、こちらでは 「しりしり」 にして食べるのだと云う。しりしりとは、どうやら炒め物のよで、知花さんのお宅では、目の粗い下ろし金で薄くスライスしたものを 、卵やかつぶし等と一緒に炒めて、醤油で味付けするのだとか。「人参しりしりとか、パパイヤしりしりとかね。美味しいよ。」しりしりしりしり…。ふと、下ろし金でスライスする音を想い浮かべる。「もし邪魔でなければ、パパイヤ持って帰ったら?」 屈託の無い申し出に、胸がきゅうとなって、喜んでそうさせて貰う。そうこうして居る内に、こうして腰を降ろしてから、一時間と半時程も経って居たのに気付く。ついついのんびりしてしまった。再び器選びに戻って、その後で知花さんの登り窯を見せて頂いた。屋根の掛かった急な斜面に、どっしり力強く。器の生まれる、火のお腹。
器を包んで下さる間、何かの拍子でそんな話になったのだと想う。「主人は雑誌とかテレビとかのね、取材があんまり好きじゃないんです。だからそう云うお話は大抵、”隣の北窯さんに行って下さい”って(笑)。」 私らは芸術家ではないから。民芸の職人だから。私はまた、胸がきゅうとなって、うんうん、と頷いた。ここへ来て、本当に良かった。この人たちに出遭えて、本当に良かった…。包んで頂いた器とパパイヤを大事に抱いて表へ出ると、テーブルの従兄弟氏が云う。 「この後どうするの?」「座喜味城跡を見てから那覇に戻ろうかなぁ、と。」 するとご主人が、座喜味城跡まで送って行って貰ったら良いよ、と云う。それではあんまりにも図々しいので、いえいえ、と謙遜して居たのだけれど、奥さんにも勧められて、折角のご好意に甘えることとする。荷物をまとめて従兄弟氏の車へ。知花さんご夫妻には、厚くお礼を述べて、やちむんの里を後にした。有難う。
従兄弟氏は実に愉快な人で、車中でもお喋りの途切れることが無い。途中で見掛けた、沖縄独特のお墓についても、わざわざ車を路肩に止めて説明してくれる。やがて車は、長閑な住宅街の中の遺跡に到着。当初の話では、ここまで送って貰うだけであったのが、どうせ今日は仕事が休みだからと、案内までして下さった。石積みの城壁だけが残る小高い丘の上の城跡は、何処かしら、西洋の城跡にも似た佇まい。石の上に乗って海を臨むと、何だか空がひどく大きく感ぜられる。「あそこが、さっきまで居た所さぁ。」振り返って従兄弟氏の指さす方を見やると、見下ろす先のこんもりとした森の中に、赤い瓦屋根の集まった、小さな集落が在った。一番手前の屋根が、きっと知花さんの窯の屋根だな。やがて空が曇り出し、風も強くなってきたところで、城跡を後にすることとする。予めバスの路線などは調べてあったのだけれど、結局は、従兄弟氏が停留所まで車で送って下さった。「こんなにして下さって、何とお礼を云ったら良いのか…」 車中の従兄弟氏が云う。私は若い頃にあちこちを独り旅して、行く先々で見知らぬ人たちのお世話になった。だから今こうして、私があなたにして居ることは、そのときお世話になった人たちへの恩返しだと想って居るのだから、気にすることは無いよ。たとえその人に直接お礼が出来なくとも、自分がして貰ったよに他の誰かに親切をすることで、感謝の気持ちは繋がってゆくのではないだろか。だからあなたも、同じよな人を見掛けたら、小さなことで良いから、親切をしてあげなさいね。それでまた、その感謝の気持ちが繋がって、広がってゆくのだから、と。あったかな心持ちでいっぱいになって、感謝でいっぱいになって。この日の出来事をぎゅっと心に留め、段々と遠くなってゆく、従兄弟氏の車を見送った。必然の偶然のもたらすもの。繋がるもの。広がるもの。知花さんのご主人の名前は、私の父と同じ。そして娘さんの名前は、私と同じだった。
停留所のベンチに腰を下ろすと、ほんの数分後に帰りのバスが。聞いて居た話では、なかなか時刻通りに運行しないとのことであったが、どうやら定刻に来たと見える。居合わせたおじいが、ほら来た、と指さした。帰りのバスの中では、ぼんやりと流れる車窓の風景と風景との間に、読谷でのことを小さく挟み込み、心地良いうとうとに身を委ねて揺られながら、再び小一時間。牧志の停留所でバスを降りる。

昨日ふらふらと散策したものの、好奇心に駆られて歩き足りぬのは、やはりホーボー故か。午後三時。桜坂のカレー屋で遅い昼を頂くことにする。蔦のよな緑の絡まる、古い木造の家。靴を脱いで二階へ上がると、開け放たれた窓から、丁度良い具合に風が抜ける。野菜のカレーとチャイをお願いして、この日のことを手帖に書き付ける。腰をおろした所から、坂の入り口を見下ろせば、老若男女。様々の人びとが、様々の歩き方で坂を登り、坂を下る。そこに時折、猫が加わり、夕暮れ前のゆるりとした日常の暮らしの風景。穏やかな心持ちで、ぼんやりと見入る。食後のチャイを頂いて居たら、何やらものの気配が…。窓際に脱ぎ置いた帽子の脇に、何処から登って来たのやら。なりの小さな雌猫が一匹。きれいなグレーの毛並みの、かあいらしい猫だ。帽子のつばをしきりに嗅いで居る(苦笑)。ヨーグルトを指につけてやると、ざらりとした舌で舐める。言葉を交わすでも無く、猫と私。窓辺で憩う。と、そこに別の気配。振り返ると、後方の窓から、巨大な茶トラが、ものすごい形相と勢いで店内へ!唖然とする我々(猫と私)を尻目に、あっと云う間も無く、階下へドドドと降りてゆく。何なのだ、今のは…?皿を下げに来た店員さんに尋ねると、良く見掛ける野良猫なのだが、たまにこうして二階から入って来ては、半開きの出入り口から出てゆくのだとか。ふむ、通り道なのだろか??実に図太い奴である。しかし、それを話す店員さんの口ぶりが、あんまりにも平和であったので、先程の光景とのギャップが、何ともおかしかったのだけれど、この店に限らず、沖縄の店々人々は、猫に対して非常に寛容であるよに想える。それ故か、猫たちの方も無作法では無いと見え(茶トラは兎も角)、如何にものんびりとした風である。
すっかり憩って店を後にし、壷屋の辺りを下見に歩く。あんまり歩いてしまうと、明日が勿体無いから、ちょっと流すにとどめて。そこから牧志の公設市場の辺りへ出た後、人の流れとは逆に、新天地市場へ向かう。牧志の市場の辺りとは違って、こちらは観光客など一人も居ない(笑)。狭い通路の両脇には、びっしりくっつくよにして店が並び、ここでもおばあたちは、袋菓子食べ食べ、ゆんたくを。栄町級のゆるゆるグルーヴは無いにしろ、やはり濃密な空気の漂うのには、変わりが無い。うずたかく積まれた肌着の山。懐かしい色柄のアッパッパ。布巾は二十枚セット!何だろ、香ばしい揚げ物の匂いがする。再び牧志の市場の中を通り抜けて、浮島通りの古着屋さんなど覗きながら、あっちにふらり。こっちにふらり。宿へ戻ると午後五時半。皆は未だ帰って居らず、それから一時間後に。この日の夕食はここと決めず、行き当たりばったり。牧志の食堂で沖縄の家庭料理と中華を頂いた。ミミガーの和え物に、ラフテー海ぶどうゴーヤーチャンプルー。レバーの炒め物。ゆし豆腐、などなどなど。小僧氏は、海ぶどうがいたく気に入った様子で、おかわりを要求。皆、箸が進む、進む。お腹一杯、どれも大変美味しく頂いて、ご馳走様。
帰り道はアイスクリームなど舐め舐め、腹ごなしに界隈を散策しながら、宿へ戻る。

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