双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

ぽちっと考

|雑記| |モノ|


このところずっと心に引っ掛かって居た、或る想い。
先日のmikkさんのエントリ(街から消える店 - 音甘映画館)が、その想いと重なって居たのは、何かから何かが繋がって居るよで、こそっと嬉しい偶然だった。
「モノを買う」と云うこと。インターネット全盛の今の世に在って、それは「ネットでぽちっと」で事足りるよになってしまった。確かに、地方僻地在住と云う事情から、近辺では見付からぬCDや書籍など、私自身ネットでモノを買うことは度々在るし、ネットで買い物することの全てを否定するつもりは無いけれど、それでもやっぱり。モノを買うのに、ぽちっとだけでは、随分と寂しい気がするのだなぁ。
実際に手に取って、感触を掌に感じて。例えばレコード屋にしても、本屋にしても、目的の在る無しに拘わらず、出掛ければ何かしら素敵な品と出遭えるよな、静かな高揚が在って。匂いだとか、佇まいだとか。そこでしか得られぬ、感じられぬ、何か。モノの記憶は、そんな事柄全てと結びついてこそ、モノの記憶となり、やがてはそのモノ自体と重なって、ただのモノから、一つだけのモノとなるのではないだろか・・・。
ネットでぽちっとは、それらの過程がすっぱり抜けてしまって居て、記憶や気持ちの部分が薄らいでしまって居て。それを買った日は、どんな季節で、どんな天気で。どんな寄り道をして。途中で飲んだ珈琲の味だとか、その日聞いた街の音だとか。店に入ったときの気持ちだとか。些細なことかも知れないけれど、そんな様々が在るから、手に入れたモノへ寄せる、特別な想いが存在するよな気がする。ぽちっとと実際とでは、手に入れた喜び、手に入れるまでの愉しみの質が、全く違ってくる、とでも云うのかな。かつて自らの足で歩いて見付けたモノたちの中に、今尚、心をあったかくさせるよな出遭いが、幾つ在ったろう。
買い物に限らず、ネットの上では、形を持たぬ音楽や本が流通するよになった。私は古い人間だから、音楽はやっぱり盤であって欲しいし、本はやっぱり紙であって欲しい。ジャケットもケースも全部含めて、その人たちの作った一枚の作品であると想うし、装丁やレイアウトや紙の匂いがあってこそ、本であると想うから。「ぽちっと」 は至極便利であるからこそ、上手に使って、そこに何でもかんでも、どかっと寄り掛かってしまわぬよにしたいものだなぁ、と想う。しみじみ。

<