双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

父と娘

|徒然| |回想|

小学二年生の頃だったろか。父が留守だと云うので、母と私、弟の三人で、母の実家に出掛けて夕飯を食べ、八時を過ぎた頃家に帰って来ると、留守の筈の家の中には明かりが灯り、父が台所に立って居る。出掛ける予定だったが、取り止めになったのだと云う。フライパンの上には、丁度焼きあがったばかりの餃子が在り 「お父さん、餃子作ったぞ。皆で食べよう。」 と、戸棚から皿を取り出そうとした時、母が一言、こう云った。「出掛けるって云うから、とっくに夕飯は済ませたし、どうして今頃の時間に餃子なんて・・・」 云い終わるか終わらぬかの間に、父は無言で、流し台にフライパンごと餃子を放り捨てた。「あっ!」 私は咄嗟に声をあげ、父を見た。父はそのまま荒い足音で自室へ向かい、大きな音をたててドアを閉めた。母は苦々しい呆れ顔で、全く何を考えて居るんだか、と独り言つ。私は流し台に駆け寄ると、まだ温かい餃子を拾い上げて、それを食べた。泣きながら、食べた。「ちょっと!何してるの!止めなさい!」 制止する母の手を力一杯振り払いながら、横目でキッと母を睨み据えて、私は確か、こう云ったと想う。「鬼ババァ!」 翌朝の食卓は、些かぎくしゃくはして居たけれど、何事も無かったかのよな風で、私は父にぼそっと伝えた。「餃子美味しかった。また作ってね。」 父はこちらをちらと見、顎を小さくしゃくったけれど、あれ以来、父が餃子を作ることは、一度も無かった。


私が父に対して何かを想うとき、この記憶が必ず付き纏う。この記憶が「父」そのものであるよな気がするのは、何故なのだろか。それは今でも分からない。勿論、母と父が不仲であった訳ではないし、どこの家庭にでも在る、些細な出来事の一つに過ぎないのだけれど。父親に対する、憐れみにも似た感情。その最初の記憶が、この出来事であったよな気がするのだ。見目や体質は母親から受け継ぎ、気性や嗜好、ものの考え方は、父親から受け継いだ。見事な程に真っ二つ。茶の間の長火鉢の上には、いつも 『歴史読本』 や、池波正太郎藤沢周平などの文庫本が在って、物心ついた頃には、自然にそれらを読むよになったし、父のぶらり旅の報告を聞くのも、愉しみだった。江戸趣味や時代物好き、旅心、手仕事云々など、私の中の嗜好の或る部分は、これら父からの影響であり、紛れも無い、血であろうと想う。
同性である母親に持ち得る感情と、父親へのそれとは、何かが決定的に違って居る。娘は、母親から支配と云う庇護の元に置かれる一方で、父親の持つ役割は、庇護と云うよりも、何かを以って導きを担う、「師」 のよな存在ではなかろか。少なくとも私にとっては、そうであった。父からは様々な事柄を学び、吸収した。やがて父の口から、私を後継ぎにしよう。などとと云う言葉が聞かれるよになり、尤もそれは、なかなか後を継ぎたいと云い出さない弟に、それとなくハッパをかけて居たのと、冗談半分でもあったのだけれど、思春期には、父の私に対する諸々の期待が、ひどく過大評価のよに感ぜられ、自分の中で折り合いが付けられずに、むしゃくしゃと苛立たしく想えたものだった。私は父が考える程、非凡でもユニイクでも無い、ありふれた人間なのだ、と。今となってみれば、物笑いの種程にしかならないが、恐らくあれは、師に対する小さな抵抗だったのかも知れない。
それから、餃子の他にもう一つ、忘れられぬエピソードが在る。私が随分幼かった頃のことだから、当然記憶には無いのだが、年頃になって、母の口から聞いた話だ。或る年の母の誕生日。うっかりそれを忘れるところだった父は、汚れた仕事着のまま街の洋品店へ出向き、一枚のスカーフを買って帰った。包みを開けて、母はムッとしたらしい。どちらかと云えば、お嬢様育ちの母にとって、スカーフとは絹物を意味するもので、父の買い求めたポリエステルが、如何にもの安物と映ったのである。口では感謝を述べながら、母はそれを箪笥の抽斗に仕舞い込み、やがては、すっかり記憶の彼方へ・・・。それから時の経った、と或る朝。弁当を包む風呂敷が見当たらず、箪笥の抽斗をひっくり返して居た時のこと。お誂え向きの大きさの風呂敷を見付け、慌しく弁当箱を包むと 「いってらっしゃい。」 と父を送り出した。母はこのときの父が、無言であったことに気付きはしたものの、それがどうしてなのかは、ちいとも分からない。夕方、弁当箱を持って帰ってきた父は、むっつりを通したままで、何も話そうとしない。苛立った母が 「私が何か気に障ることでも云った?」 と聞くと、父は一言 「金輪際、お前には何も買ってやらねぇ!」 と云うや風呂場へ向かい、その日はとうとう、一言も口をきかなかったと云う。鈍い母は、その言葉の意味になかなか気付かず、それを知ったのは明くる朝のことであったらしい。この話を聞いた私の脳裏には、あの餃子の出来事が鮮明に蘇った。泥だらけの仕事着で店に入り、あれこれ物色する父は、店員から疎ましい眼で見られたことだろう。それだのにこの母ときたら!あの晩と同じよに、私は再び横目で母を、キッと睨み据えたのだった。
しかしながら、本来であれば、敬うべき師である父に対して、憐れみのよな感情を同時に持つと云うのは、おかしなものである。想えば私は、父の働く姿を、幼い頃幾度も目にした。土建業である父が、冬の寒風、真夏の炎天下で、泥だらけになりながら、汗を流して働く姿だ。ああ。お父さんがこうやって一生懸命働いて居るから、あたしたち家族が暮らしてゆけるんだなぁ、と。そこで静かに沸き起こった感情は、哀愁や同情にも似た何かであったのだ、と想う。それは昔で云うところの 「囲炉裏端で夜なべして手袋を編む母」に息子が抱く感情と、少しだけ似ているかも知れない。*1
そんな父も既に還暦を過ぎた。母親には相変わらず、ズケズケ物を云えるが、父にはどうも手心を加えてしまう。母親をいたわって居ない訳では、決してないのだけれど、どうも、私は父親に甘いところが在っていけない。

*1:或いは、田中邦衛演じる、黒板五郎に対して抱く感情と同質のもの?

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