双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

食をめぐる冒険

|本|



訪れたその土地で、その土地の普段の料理を、その土地の市井の人々に混じって食す。至極当たり前のことのよで、実は案外そうでも無い。「食べる」 と云う行為は、直接生に繋がる行為であると共に、その土地を知る最も身近な行為でもある。しかしながら、食や文化に対する好奇心を誰しもが持ち合わせて居る訳では無く、むしろ、未知のものに対して尻込みする者の方が、ずっと多いのではなかろか。好奇心とは、つまり冒険である。その意味で我々日本人は、なかなかの冒険家であるよにも想えまいか。一昔前ならいざ知らず。現在、恐らく世界の何処へ行っても、自国以外のあらゆる世界各国の味を提供する店が、外食産業として当たり前に根付いて居る様には、なかなかお目にかかれるものでは無いのではないか。確かに、すっかり的の外れたもの。日本風にアレンジされて、本来のそれとは姿を変えて定着したものも在るだろうが、中にはご当地の人間をして、ご当地以上にご当地らしい味!と唸らせるものも在る。一般家庭の食卓にも、日本食以外の料理が日常的に並ぶ国。私はそれ程あちこちを回った訳では無いし、まして敷居の高い店へ足を運ぶ機会など皆無であったから、良くは知らぬのだけれども、日本人で無い者が拵えた日本食で、日本人を唸らせるよな味に旅先で出会った、と云う記憶は今のところ、未だ無い。先ずそもそもが、自分の国の料理以外に深い興味、もしくは好奇心を抱く、と云うこと自体が珍しいのかも知れぬ。だがもしも、ちっぽけな疑念に怖気づいて、つまらぬ偏見に固執して、冒険の先の新たな喜びを生涯知り得ぬとしたら。それは間違い無く、人生の幾分かを損して居るのではなかろか・・・。


と、前置きが長くなってしまったけれど、久々、実に面白い本と出遭った。筆者は云わずと知れたグラスゴーの人気バンド、フランツ・フェルディナンドのVo.であるアレックス・カプラノス氏。世界でも指折りの食に対して消極的な民族、と云われる英国人でありながら、*1異分子宜しく、そこから大きく飛び出した食の冒険家でもある彼が、世界ツアーで訪れたあちこちの料理について、英高級紙 『ガーディアン』 に寄稿したエッセイを、一冊にまとめたものである。彼の料理に対する造詣の深さと興味は、並々ならぬものが在り、そのシニカルにしてユーモラス、時に人生の悲哀をも感じさせる文章の巧みさは、名ばかりの物書きなど及ばぬくらいに、充分過ぎる程魅力的だ。新幹線の幕の内弁当の頁はご愛嬌だが、ここに書かれる彼の冒険は、料理のみならず、一見単純な行為である食を主題に置きながら、食と云うものを通して、実はその国々街々の風土、果ては人間の営みにまで及んで居る。そこから見えてくるもの。国は異なれども、それは我々人間の姿であり、共通の可笑しみ。
「巨大なタピオカのようにふやけて、今にも崩れ落ちそうな建物」 にくるまれて和らぐ 「強烈な個性」 の人々(ウィリアムズバーグ)。「ヴァージニア・ウルフが着ていたみたいな」 ガウンの女性が 「パナマ帽をかぶった男性の隣に」 座り、かつて、クエンティン・クリスプがたむろして居た頃の 「ソーホーのあやしげな雰囲気」 を、今尚漂わせるカフェ(ロンドン)。ガスコインの思い出話に 「故郷から二千光年離れた地にいる孤独」 を滲ませる 「ジミー・マクジミー」 なフィッシュ&チップス店主(ワシントンDC)。等など。どの街の話も秀逸だったのだけれど、ことオースチンの頁は懐かしい。初めて訪れた時に、現地の友人に連れて行って貰ったのが、何あろう件の 『Las Manitas』 であり、ビキニ姿のカウボーイオヤジが健在であるらしいことに、思わずニヤリとさせられた。
嗚呼。食べると云うことは、何と愉しきことだろう。

*1:とは一般的に云われるだけで、結構美味しいものは在るのです。英国にも。

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