双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

私たちのフランチェスコも、丘を降りて行った。

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BS朝日にて、須賀敦子の 『イタリアへ』 が連続シリーズ
となって放送されて居ることを知り、近頃新たにテレビを
購入した弟夫婦の家に、前もってお願いしておいた。
第1話のトリエステは、残念ながら逃したのだけれど、
第2話のアッシジは、HDDに録れたとのこと。邪魔したのが
丁度夕食どきで、お好み焼きを相伴に預かりながらだった
ものだから、しみじみ観て居られる訳も無かったが、
弟が甥っ子を寝かしつけに部屋を出、義妹が早めの風呂へ
入りにゆくと、番組はもう終わりの頃に差し掛かって居て、
独りになる間が不意に、訪れた。夕暮れのサン・ダミアーノ
教会の前に、一人の修道女が立って居る。ウンブリアの
やわらかな夕日に照され、薄桃色から次第に、茜色へと
染まってゆく石壁の前に立って、静かに祈りを捧げる姿だけが、
数分間。音も無く、ただ見守るよに映されて、その様にじっと
見入って居る内、何故だろう。胸の中に言葉にならぬ何かが、
足音もたてずにそっと押し寄せて、続いて映し出された
アッシジの懐深い、たおやかな風景にふと、涙が出そうになる。
あまりにも突然で、思ってもみないことだった。
家へ戻ってからも、細波のよな微熱は胸の隅に残ったままで、
須賀さんがペッピーノに宛てた、長い手紙を思い起こす。
彼女が共にアッシジを歩き、信仰について語り合い、
心を通わせたフランス人女性・ダニエルとのこと。
二人とも「小さい姉妹の友愛会」の人びとの生き方に共感し、
強く心を惹かれながらも、彼女たちの生きる世界と
自分たちの求める世界とでは、何かが少しだけ違って居る
のではないかしら、と感じて居たこと。けれども
「再度、自分の毎日の歩みの方向を確認」できたことで
「やっと生きはじめたように」 思えたと云うこと。
そして、アッシジに発つ前に見たと云う、夢の話のこと。


あたりはもうすっかり春です。どの丘も鮮やかな緑におおわれていて、桃の甘い花はまるでうれしさのあまり泣いているかのようです。私はひとり満ち足りた思いで歩いていました。
すると突然、丘の上のひどく貧しい小屋が目に入りました。その脇には鶏小屋がありました。
私はたずねました。 ― あそこには誰が住んでいるかしら?声が答えました。 ― 小さな兄弟たちだよ。
(中略)
私は泣き出しました。苦い涙ではなかったことをよく覚えています。まるで胸を張って泣いているようでした。この、アッシジの平野を流れる小川のひとつのように。


「書簡 1960年 ペッピーノ・リッカ宛」より


ペッピーノとの間で交わされた書簡の中でも、この
アッシジ滞在に触れた文面からは、須賀さんの喜び、
活き活きとした喜びが、とりわけ溢れて居るよな気がする。
須賀さんは生涯、幾度と無くこの小さな丘の街を訪れ、
大切なものを見付け、黄昏に佇み、そして心に深く愛した。


「歌う人生、恩寵の冒険に捧げられた人生。」


床につきながら思う。かつて彼女の見たのと同じ風景を、
私が目にするのは、いつのことになるだろか。

霧のむこうに住みたい

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須賀敦子全集〈第8巻〉 (河出文庫)

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須賀敦子のアッシジと丘の町

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