双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

嗜好の系譜

|徒然| |回想|


ここ数年と云うもの 「四国へお遍路の旅に出たい。」 と口にすることの多い父だが、いざ実行に移すとなると、仕事を引退してからでなければ難しいことは、本人も承知して居る様子で、ただし自営業故、勤め人のよな決まった定年が無いために、それがいつとはっきりせぬのが、傍目にはどうも歯痒さそに見えた。しかし、この遍路の旅に友人のIさんも同行の計画である様子から、Iさんが役所を退職する数年後を目処に、どうやら自分も一線を退く心づもりであるのは、周りも薄々感付き始めて居る。
以前の父は、ちょっとした休みが出来ると、度々ふらりと一泊か二泊、ひとり旅に出掛けたりして居たのだけれど、もう長らくそんな父を見て居ない気がする。ふらりと出掛けるのは、何れも決まって鄙びた温泉宿で、できるだけ人っ気の少ない所、できるだけ鄙びた所をわざわざ探すらしく、行き先も詳細も告げずに「ちょっとニ・三日、温泉に行ってくる。」 と云ってひょいと出掛け、帰って来たら来たで、こちらから訊ねないと、何処の温泉まで出掛けてきたのかも分からない。感想を聞けば、存外きれいな宿で拍子抜けしただの、思った通りの鄙び具合だっただの。父の満足の基準は、湯の良し悪しなのでは無く、あくまで自分好みの鄙びた佇まいか、否か、なのであるらしい。
子供の頃には、盆の時期や冬休みになると、家族皆で旅行に出掛けたものだった。行き先を決めるのは、大概が父の役割であったため、やはり父好みの鄙びた温泉が多かったよに記憶して居る。何故今頃に、そんなことを思い出したのか。つげ義春の 『貧困旅行記』 をしみじみ読み返して居たところ、つげ氏の好んで廻った温泉の名に、父に連れられて行った場所が、ぽつぽつと見付かったものだから、ついあれこれと、遠い記憶を手繰せてみたくなったのかも知れない。巻末の方の 「つげ義春・旅マップ」 を見ながら、記憶に残って居る場所に、鉛筆で印を付けてみる。秋田は玉川温泉、御生掛温泉、蒸ノ湯温泉、小安温泉、泥湯温泉。岩手は夏油温泉。山形は銀山温泉。福島は東山温泉、二岐温泉、桧枝岐温泉、湯野上温泉。栃木は北温泉。群馬は法師温泉四万温泉。投宿した何れの宿も、周りに遊ぶよなところも殆ど無い、ひっそり鄙びた佇まいで、女子供の行って喜ぶ場所では、決して無かった憶えが在る。それが証拠に、母や祖母らから文句の出ぬよに、もう一泊目の宿にはちゃんと、小ぎれいな旅館かホテルを選んであったものだ。父はつげ義春も、勿論、氏の漫画も全く知らぬのだが。
血筋と云うのか何と云うのか。私のは明かに、父からのものなのだろう。きれいなホテルや立派な旅館より、それらの鄙びた佇まいの方に、私はその頃から、ずっと心惹かれて居たのではなかったろか。長湯の苦手な私は、皆より早めに湯から上がると、宿の端から端までしみじみ見て廻った。薄明かりの暗い廊下。ぎしぎしきしむ階段。タイル貼りの手洗い。腰を曲げて歩く宿の老婆。壁に掛かった木彫りの面。黒光りした板戸。時に背筋をぞくっとしながらも 「鄙びた」 とか 「侘しい」 などと云った言葉が私の中で、次第に自然なものとなっていった気がして居る。しかしこうして大人になってみて、こう云う鄙びた温泉を訪れるなら、やはりひとり旅が相応しいのだろう。男のひとり旅が様になるのに対して、京都や鎌倉などならいざ知らず、そんな場所を女がひとりで訪れても、何か訳在り風*1に見えてしまいそで(笑)、どうも不釣合いに思えてならないのだが…。はて、どうだろう。

*1:一体いつの話だよ!と思われるかも知れませんが、私の中では相変わらず消えません(笑)。

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