双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

街と云う生き物

|徒然| |本|


未だ訪れることが叶わぬとは云え、イタリアと云う国に惹かれて久しいのだけれど、こと、ナポリと云う街は不思議と想う。
古代ギリシアの植民都市と云う古い起源に始まり、貴族的文化と庶民のそれとが同居する矛盾と混沌、聖と悪。幾多の文化の行き交った蓄積の上に、ありとあらゆる多様がごった煮となって、イタリアの都市の中でも、一際の異彩を放って居るよに見える。また「あんな街は大嫌いだ、二度と御免だ。」と云う人と「初めこそ戸惑いはしたが、訪れる度に好きになる。」と云う人の真っ二つに意見が分かれ、殆ど中間の無い点も、非常に面白い。
今昔問わず、文筆を生業とする人びとの間においても、この街の持つ深い魅力に魅せられた者は少なくない。興味深いことに、初めは必ずしも、良い印象ばかりを持って居らぬ場合が多く、幾度も訪れる内に、或いは永く暮らす内に、次第、ナポリと云う街を受け入れ、魅入られてゆくものらしい。須賀敦子もまた、そんなナポリに魅せられた者の一人であったようだ。
須賀の残したエッセイに、ナポリに関するものが確か二つ程在ったよに思う。須賀は、大学の仕事で半年程、この街に暮らすこととなり、その住まいとなったのは、元こそ古く貴族の邸宅であったにせよ、現代では下層の人々の住まいとなって居る、スパッカ・ナポリ沿いに建つアパート。あまりに有名なその通りに暮しながら、彼女ならではの鋭さとやわらかさでもって、ナポリの光と闇の不思議な同居を見詰めて居る。
その一つ『ナポリを見て死ね』*1に、ちょっと素敵な話が挟まれて居る。仕事場であるナポリ大学への行き帰りに立ち寄る八百屋が在って、始めの頃は、ちょっと余所見をすると、計りに乗せた野菜の勘定を誤魔化されたりと、所謂ナポリの洗礼を受けたりもするのだが、そうやって日々、おっかなびっくり、戸惑いながらもナポリの街と付き合って居る内、この八百屋の女主人とも顔馴染になってゆく。野菜を包むのに新聞紙を使って居るのを見た須賀は、或る日、溜まった古新聞をこの八百屋に持って行くことを思い付く。実はその新聞の束の間には、須賀がちょっと奮発して買い求めた、気に入りのハンカチが挟まったままになって居たのだが、彼女はそのことをすっかり忘れて居り、明くる日、女主人から不意に礼を述べられてそれに気付き「やられた」と思いながらも、しかし「なにかゲームに負けたような、子供っぽい口惜しさ」が残っただけで、不思議と腹は立たぬ。
それから暫くした或る日。午後をとっくに廻った頃、昼食用のサラダ菜を買いに立ち寄ると「あら、お昼まだなの?」と、店の片隅にあつらえた、簡素な昼食に誘われる。辞退はしたものの、見知らぬ外国人である「私」を、屈託無く自らの「粗末な食卓に招いてくれるおばさんの気持ちがうれしく」て「涙が出そう」になる。北の都会に永く暮らした須賀は、北には無かった類の温かさに素肌で触れ「すばらしいナポリのおみやげをもらった」と、しみじみ感じるのだ。
須賀とナポリの関係は、やがてある納得に到達する。


この町は、全体をうけいれるほかないのだ、そんな思いが私の考えを占めるようになった。部分に腹を立てていると、いつまでたっても、この町と友だちにはなれない。まず、全体をうけいれてから、ゆっくり見ていると、ある日思いがけない贈物をくれることがある。それは同時に、思いがけなく足をすくわれる危険をつねに伴ってもいるのだが。

また『スパッカ・ナポリ*2の中では、ナポリと云う街を体現するよな、雑多と混沌入り混じるこの通りについて、こんな風にも書いて居る。


スパッカ・ナポリは、たしかに、ただの道ではない。というのも、これをいちど端から端まで通過して、そこで起こることをみてしまった人間は、もう、それまでの彼あるいは彼女にもどることはできないのだから。スパッカ・ナポリは、もしかしたら、人生そのものが道に化けているだけなのだ。

須賀に先立って亡くなった、夫ペッピーノもまた、ナポリナポリ人を愛した一人であったのは、決して偶然では無かった気がする。

*1:『ミラノ霧の風景』収録

*2:『時のかけらたち』収録

<