双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

しっぽを立てろ!あしたはどっちだ

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[BS-2 あしたのジョー放映雑記・その2]


案の定です。がっかりです。実家のデッキの調子が余程に芳しくないらしく、*1届いたVTRを調べたところ、またしても肝心の第49話〜51話*2がすっとんで居り…(沈没)。真っ白にもなれず、燃えかすにすらもなれず、第46話は地獄の減量・水断ちの場面を観ながら、西を責められぬ私は牛乳飲み飲み、チョコビスケットをかじって居た次第。*3


さて。このTVアニメ版を手掛けて居たのは、云わずもがな、出崎統氏であるのだけれども、幼少期において、この人の作品の幾つかが私に及ぼした影響は、(トラウマも含めて) 非常に大きかったことを感じ入る。ざらりと力強い質感の画。虚ろに霞んだ人物の白目。不安を煽るおどろおどろしい背景。情け容赦無い血しぶき、等など。時には視覚的にヘヴィーな印象も在った筈だが、それ故、他のどのアニメとも違って、今尚、深く印象に残って居るのも確かなのだ。『ガンバの冒険』 は特に心へ焼き付いて居るが、氏の手掛けた数々の作品は、演出もさることながら、その作品の持つテーマの描き方においても、他の子供向けアニメ作品とは、随分と一線を画して居たよに思う。何と云おうか。「情念」と云うべきものに満ちて居て、相手が例え子供であろうとも、そこで描かれてゆくのは、人生の厳しさや、辛酸、挫折、孤独、無情、試練と云った、云わば、人が生きてゆくにあたって決して避けては通れぬもの。できれば避けたいもの、ではなかったろか。
何かを成し遂げようとするとき。私たちは必ず、何某かの犠牲をはらわねばならない。或るときには大切な友を失い。或るときには愛を諦め。或るときには力に屈し。或るときには全てを投げ打つ覚悟を強いられ。そして、喪失の代償を払ったにもかかわらず、それが成し遂げられないことさえある。それ故、その一方で描かれる、主人公らの絆や友情と云ったものが、より一層に心を打ったのではなかったろか。試練の過程で得るものは必ず在り、また、それを乗り越えたところには、何か大きなものが在る筈に違いない、と云うことを、子供の私は、これらの出崎アニメから学んだよな気がする。登場人物たち(含ネズミ)は皆、所謂世間で云うところの半端モノだったり、自分に否定的だったり、弱い者だったり、社会的にはみ出して居たりする。それが、一つのきっかけで、自己を模索し始め、もがき苦しみながら何かを目指し、血を流し、ボロボロになりつつも懸命に生きてゆく上で、何かを見出してゆく。剥き出しの姿を晒しながら。そして時にそれは、原作で読む以上に心に迫ってきたものだ。嗚呼。ちば氏との対談も観ておけば良かったなぁ。


やはり 『あしたのジョー』 は最初のシリーズが好き。パート2も良いのだけれど、今回改めてそう感じた次第です。

*1:ホビ宅ではBSが観られません。

*2:この後で続いてゆく、力石の死後からカーロス戦辺りまでの、所謂、ジョーの暗黒期。読んで居て相当に辛過ぎるのですが、心にずしんとくるのも確かです。

*3:何度観ても、白木ジムの地下はおっかない。そして、紫色の力石も…。

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