双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

そうならねばならぬのなら

|本|


「さようなら」 と云う言葉の持つ
本来の意味について私が知ったのは、
恥かしながら、それ程前のことではない。
須賀さんの著書の中の、飛行家リンドバーグ
妻であった、アン・リンドバーグか残した
『海からの贈物』に触れた章を読んで、
そのとき、始めて知ることができた。
そこには、こんな風に書かれて居る。


『さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんという美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。それなのにこの国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ』

何十年も以前の異国の人が、普段私たちの
何気無く使う、別れに際しての言葉の意味を、
実に敏感に、そして軽やかに感じて居たことに
私は、静かな胸の高鳴りを覚えたのだった。
そうならねばならぬのなら。左様ならば。
私たちが、こんなに美しい意味を湛えた、
繊細で深遠な言語を持って居ると云うのは、
何と仕合せなことなのだろか・・・。

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