双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

スクイージとアルネストのこと(2)

|旅| |回想|


スコットランドで数週間を過ごした後。九月も半ばをまわった頃に、私たちはロンドンへと戻って来た。思いの他増えてしまった荷物に、長旅の間に鍛えられた腕力でもって何とか持ち堪えながら、バスを幾つか乗り継いで見慣れたドアの前まで歩いてくると、夏の間の騒々しさのすっかり去ってしまった宿は、玄関の外でおしゃべりに興じる若者の姿も無く、ただひっそりした静けさで私たちを出迎えた。たった数週間空けただけだと云うのに、宿の様子は随分と様変わりして居り、手狭なレセプションに座って小言を云い連ねるマネージャーの姿だけが、恐らく唯一馴染みの在る風景だった。彼は必要以上に大きな声で出迎えて私たちを困惑させ、ややもするとスクイージがやって来て、是また大袈裟な身振りで再会を喜び合い、そして彼の屈託無い笑顔は私たちをほっとさせた。アルネストの姿が見えないことに気付いたのは、到着早々のゴタゴタもあったせいで、それから暫くたってのことだった。それを訊ねるとスクイージの顔は心無しか曇った。
私たちが発って少しした頃。アルネストはいよいよ精神的に行き詰ってしまい、スクイージの言葉にも黙りこくることが多くなって、在る日突然。ここを出て行ってしまったのだと云う。金のことは分からないが、恐らくどうにかして、あいつは国に帰っちまったんだと思う。スクイージは多くを語ろうとはせず、そう云ったきり黙ってしまった。貧しく冴えない暮らしに嫌気がさして国を出たものの、新たな生活を夢見たロンドンでも、結局は何一つ変わらないどころか、頼り無い孤独や言葉の壁に己の無力を思い知る。生命力の源のよなナポリの黄色い太陽の光はここには届かず、代わりに広がる鈍重な灰色の空と鉛のよな寒さが、彼の繊細を、益々孤独へと押しやってしまったのだろか・・・。同郷のスクイージは恐らく、彼の孤独を痛い程理解して居たに違いない。明るく振舞っては居るものの、長くこの街に暮らす彼にも同じよな時期があったであろうし、それ故、そのことに誰よりも心を痛めて居るのは、普段饒舌な彼が言葉少なに押し黙ってしまったことからも、充分伝わってきた。
同じく姿の見えぬメリンダについては、バルセロナに住む彼女の母親から電話が在って、何やら家族の事情とやらで、来月までスペインに帰って居ると云うことだった。全ての仕事を取り仕切る上に、誰よりも良く気のつく彼女の不在は、宿の業務にとっても大変な痛手と見え、普段はメリンダに任せっきりだったマネージャーのあからさまな困惑は、しかしながら傍から眺めて居ると、案外無責任に笑える類のものだったかも知れない。気が付くと宿の最大派閥は、手の焼けるイタリア人からおおらかで気の良いオーストラリア人たちへと入れ替わって居り、そのせいなのか、宿の雰囲気も幾分と穏やかになったよな気がした。日本人は相変わらず私たちだけなのかしら、と思って居た矢先。マネージャーが 「そう云えば」 と一人の日本人女性を紹介してくれた。Fさんと云うその女性は、旅先の妙な縁でも無い限り、凡そ日本では知り合いになる機会の無いと思われる、所謂、インドやらタイやらを旅して回るバックパッカーで、ロンドンなど興味も無かったのだけれど、タイで知り合いになったカナダ人と意気投合、ひょんな経緯からここに辿り着いてしまったのだと云う。神戸出身のFさんは私たちより少し年上、化粧っ気の無い気さくな愉しい人で、私たちはすぐに打ち解けた。
と或る晩のことだったと思う。テレビ映画を見終わってから、いつの間にやらラウンジで眠りこけてしまった私は、誰かの掛けてくれた毛布の中で一旦目を覚ました。再びまどろみ始めて、薄暗い部屋の中で聞き慣れた声が交わされるのを、頭の上の方にぼんやり聞き取って居たのだけれど、どうやら会話の主は、マネージャーとスクイージらしい。たどたどしく、時折つっかえながら、文字を一句一句読み上げるのはスクイージだろう。英語の読み書きの苦手なスクイージを気遣い、皆が寝静まった頃を見計らってマネージャーが熱心に教えて居るのだが、その内に上手く覚えられないスクイージが自分自身にヤケを起こして、マネージャーにとくとくと諭されて居る。目をつむって聞いて居ると、それはまるで小さな子供と学校の先生のよで、そのやりとりに、何だか胸の辺りへ暖かいものが流れてくる心地良さを覚えて、私はまた、そのまま眠ってしまった。
長い旅の終わりが近付く頃、増え過ぎた荷物の整理も兼ねて、着なくなった衣類やらあれこれを、必要な人に置いてゆくのが良いだろうと云うことになった。タイから軽装のままやって来て、これからロンドンで冬を迎えるFさんたちには毛糸の帽子だの厚手のジャケットを。其の他のものも同室の皆で分けて貰って居る最中、窓の修理を途中まで終えたスクイージが、道具箱を手にして出て行こうとしたので、私は訊ねる。 「スクイージ、何か要るもの在る?」 すると彼は珍しく真顔で 「いいや。」 とだけ答えて部屋を後にした。その晩私はふと、スコットランドから持ち帰った、あのボンボンのついたタータンチェックの帽子を、どう云う訳だか彼が妙に気に入って居たのを想い出し、キッチンでスープを温めて居るスクイージに、これを貰って欲しいと手渡した。スクイージは「君だって気に入ってたろう。本当に俺が貰って良いのか?」 と遠慮しながらも、結局は嬉々としてそれを受け取った。
帰国を翌日に控えた最後の一日を、時折雨の混じった曇り空にうんざりしながら、取り留めの無いおしゃべりで埋めて居ると、道具箱を片手に入って来たスクイージが、ボンボンのついた帽子をかむって居る。柄にも無く照れくさそうにはにかんで窓の修理に向うスクイージを見た、気の良い同室の誰かが 「スクイージはいつからスコッツマンになったんだ?」 と冷やかすと、別の誰かが云った。「ねえホビ、写真を撮ってあげたら良いよ。」 私がカメラを向けるとスクイージはゴホンと咳払いし、俺は男前だからな、とだけ云ってカメラに収まった。
安いだけが取り得で、ともすると滅茶苦茶と想える動物園のよなこの宿を、結局私たちが出て行かなかった理由は何であったのか。あの混沌と騒々しさにも拘わらず、何故だか其処にはいつも、不思議な安堵が確かに在った気がする。帰国して暫く経った頃だったか。Fさんより絵葉書が届いた。後にも先にも、彼女とのやりとりはそれが一度きりだったけれど、其処には彼女の近況と共に、スクイージの近況も記されて居た。あの後、少しお金を貯めたスクイージは休暇を貰い、友人らと連れ立ってオランダへと出掛けたらしい。其処までは良かったのだが、いざロンドンへ帰ると云う日に、スクイージのパスポートだか何だかに問題が見付かり、彼だけが出国を許されず、ただ独り、オランダ国内に残されて居るのだと云う。また、彼を心配する世話焼きのマネージャーが、あれこれ文句を云いながらも、何だかんだ八方手を尽くして彼の出国に奔走して居る、と云うことも付け加えて、そして最後はこう結んであった。
「でも、あのスクイージのことだから結構愉しくやってると思うよ。あの人はどこに行っても大丈夫だと想う。」
そうだ。きっとそうであるに違いない。



あれから十年近くが経つ。スクイージとアルネスト、二人は今頃どうして居るだろか…。
ふと思いがけず、旅先で出遭った人びとを回想する機会の訪れるとき、彼らが自分の人生に残した、至極ささやかな足跡に気付いて、時折どきりとさせられることがある。

<