双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

Fantastic something

|旅| |回想|

The Heart of Saturday Night
1997年の夏、だっただろか…。アメリカを旅して居た私は、或る土曜日、テネシー州ナッシュビルにて長距離バスを降りた。しかし、まことタイミングの悪いことに、何やらその週は、カントリー・ミュージックのコンベンションらしきを開催中とかで、アメリカ中から人々が集まり、街中の宿と云う宿は、何処も彼処も満室。くたくたになってようやく見つけた先は、中心部より随分と離れた、ホリデーイン。長旅の疲労も手伝って、着いたそばからどさり、部屋のベッドに倒れ込んだ。
やがて目が覚め、夜が訪れて居たのを知る頃。せっかく来たのだからと、宿から程近い、酒場やカフェ、ライブハウスなどの集まる界隈へと、ふらり出掛けてみた。十分も歩けば其処へ着き、通りを散策して居ると、ある店の前にだけ物凄い人だかりができて居る。「???」ひやかしで覗いてみる。どうやら其処でその晩、アル・クーパーの演奏が行われている模様で、開けっ放しのドアから大きな音が聞こえてくる。3ドルやそこら払って、手の甲にスタンプさえ押して貰えば、誰でも見られるよな、そう云う類のライブではない。チケットの買えなかった人々の塊で、店の外は溢れかえって居た。
すると突然、コンベンションの関係者とおぼしき青年が一人、私と友に近づいてきて、「君たちはアル・クーパーを観にきたの?」と聞く。私は正直に「いいえ。ただの通りすがりですので。」と答えた。青年は、おやまあ、と云った風情で何やらポッケをごそごそし、「もう僕はホテルに帰るから。せっかく来たのだし、良かったらこれで中に入って、観ていくと良いよ。僕にはもう、必要無いからね」と『VIP』の文字も目に眩しい、関係者用のパスを2枚差し出す。突然の親切に訝しげな私たちに、彼は 「遠慮しなくていい。今夜の演奏は、本当に素晴らしいよ。君たちにとって、きっと良い記念になると思うよ。」 と言葉を残し、その場を去って行った。何だか狐につままれた気のまま、よれよれのTシャツ姿の私たちは、見た目に相応しからぬそのパスを手に、おずおず店の中へと入ると、残り30分程となったアル・クーパーの演奏を、年齢層の高い人々に混じって、浮き足立ちながら聴いたのだった。
ひょんな幸運が舞い込んだ、深夜の帰り道。宿の近くの、ちょっと人気の無くなる通りに、そのカフェは在った。暗がりにぽつねんと浮かぶネオン。小腹も空いてきたことだしと、私たちはその、フクロウを名に付けた小さな店のドアをくぐった。と、私は「あ」と声を漏らした。店内に小さく流れるトム・ウェイツ…。テーブルについてドーナツとコーヒーを注文し、しみじみ店内を見回す。浮ついたところのまるで無い、こじんまりと落着いた居心地の良い深夜の店内に、お客は私たちともう一組きり。まるでこの時に合わせたよにして、トム・ウェイツの声は其処に在った。
一つの幸運が、また別の幸運を連れて来る。そんなことも在るのだな、と思う。八年経った今でも、その土曜の晩のことは私の頭の中で、克明に記憶されて居る。或る、一つの旅の記憶。
別の話は、また、別の機会に…。

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