双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

曇天と霧雨、そして山のカレーライス

|縷々| |散輪|


しくじった。恐らく、魔が差したのであろう。我ながらみっともない愚痴を、間違った相手に吐露して後悔する。どうしてああ云う人にあんな話をして聞かせたのか。精神が余程に疲弊していたのか、全く「魔が差した」としか云い様が無いのだけれど、後悔先に立たず。過ぎたことはどうにもならぬし、今後同じ過ちを繰り返さない心得で、さっさと気持ちを切り替えよう。やれやれ。

明けて月曜日、外は曇天。予報では雨は降らぬらしいし、ひとっ走りして気晴らしして来るか。支度して十一時半にグワイヒア号と共に出立。県道を越境して山を登る。途中の休憩に立ち寄ったダムで、向こう側に在る公園の上の方から、長く伸びたトランペットの音色が流れてきた。自主練習か何かだろか。のんびりとした心持ちで、暫し耳を傾けてから出立。程無く霧雨らしき空模様となり、緩い登り坂を少しだけ急ぐ。十二時半頃に目的地到着。
廃校跡の施設内に在る食堂である。昼時のみ一般にも開放されて居り、誰でも利用できると云うので、散輪がてら来てみた訳だが、さて。何にしようかな。うどんに蕎麦、丼ものなど。さっきの小父さん、カレーライス頼んで居たなぁ、とカレーライスを注文したら、実に!あの給食風の、懐かしい感じのカレーライスが出てきたのであった。明るい黄色のルーにジャガイモ、玉葱、人参と豚コマ肉。近頃じゃこの手のカレーライスにお目にかかることは稀なので、しみじみと味わいながら食す。小皿のお漬物が塩っ辛いのも、昔っぽくて一寸嬉しかった。

嬉しくなって表へ出れば、やはり霧雨。フレームバッグからウィンドブレーカーを出して着る。帰りの下りは風に吹かれながらびゅうびゅうと走った。昨日の苦々しいしくじりの後悔は、ずっとずっと後ろへ置いてきた。


曇天の下、暫し立ち止まる。深い秋はもう少し先。

海の道 その先へ

|散輪|


こないだ走った海沿いの旧街道 (海の道 - 双六二等兵) 再び、である。
前回引き返した少し先、国道バイパスとの交差点をそのまま直進すると、バイパス以前から在った元々の浜通りに繋がると知り、それなら話は早いじゃないの、と早速走って来たのであった。家事を済ませて支度して、午前10時40分出立。越境して国道を横断、旧街道へ入り、表通りから一旦逸れて件の小さな漁港で脚を緩める。


海と空と秋の光と。水面がきらきら、見飽きることが無い。


潮の匂いの混じる海風に吹かれながら、清々しい気分で海の道を行く。前回の引き返し地点辺りまで来ると、道路拡張工事は未だ絶賛続行中。しかもグラベルどころか、ゴロゴロの砕石&砂利に泥水まで加わった、コブだらけの愉快なアドベンチャーコースと化して居る始末(笑)。心中で悪態つきつき、俄かコース道を苦々走り切って舗装路へ戻れば、バイパス交差点まではもうすぐである。新しくできた大型商業施設の駐車場入り口を横目に、丁度青になったばかりの交差点を渡り直進して程無く、あー成程。ここへ通じる訳ね、と納得。海岸の方へ道を折れると、おお!頭上にバイパスが!ドライバーの皆さん、どうも広くて新しい道がお好きなようで、いやはや。ビュンビュン威勢良く飛ばして居られますが、こちとら暢気なチャリ道中、お古の道をのんびり参るのであるヨ。

道が知れれば、市街地方面へアップダウンを繰り返しながら進むのみ。駅の少し手前、工場横の踏切手前までは緩い登り坂がだらだらと続くも、登り切ったところから目の前に開ける景色ったら!ついさっきまで頭上に在った筈のバイパスが、ここからは眼下に見えるんだものなぁ。でもって背景はひたすら太平洋ダYO!しかしよくもまぁ、わざわざチャリで来たものだ。電車に乗ったら駅三つ、20分足らずで着くのにねぇ(笑) 。*1


坂の上の細道から海を背景にバイパスを眺める。高低差に感謝。


さてと。道に戻って踏切を渡ればもう市街地である。大通りから裏道へ入って目当ての喫茶店へと向かい、昼を少々まわった頃に喫茶店到着。素敵なクリームソーダを注文し、暫し憩う。久方ぶりでお邪魔したのだけれど、マスター変わらずお元気で良かった。ゆるり休んで憩って気力体力共に回復したら、元来た道を戻るのだ。ここまでで大体22キロだから、即ち帰りも同じってことなら往復で44キロか。ううむ、バテずに無事帰れるかしらん…。まぁ、別段急ぐ旅で無し。脚と相談しながらゆっくり帰れば良いさ、と日焼け止めをしっかり塗り直して、いざ出立。

意外に順調と思われた復路であったが、残り5キロ程を残すばかりとなった頃。案の定、最後の登り坂でいよいよ地味に脚に来た。フロントをインナーにして、なるたけ軽いギアでゆっくり走ろう。と云うか、もうゆっくりでしか走れない(笑)。途中、稲刈りを終えたばかりの田んぼの土手が、群生した彼岸花で真っ赤だった。ほんの少しの間に、すっかり秋の風景になったんだなぁ。午後2時40分、何とかかんとか無事帰宅。海の道のその先へ、行って帰って本日の走行距離は凡そ44キロ、と相成り候。


グワイヒア号と港、の図。


本当なら、もっと格好良く撮ってあげたかったのだけれど、近くに小父さんたちが居たもので、いそいそと…。

*1:中学校の時分にクラスの男子どもが、駅四つ先の街の国道沿いに開店した「つり具の上〇屋」まで、自転車(懐かしのジュニアスポーツ車!)で出掛けて行くのを「馬っ鹿だなぁ」と呆れたことを思い出しながら、あれ?でもそれを云ったら自分も大差無いじゃん(笑)。

あの頃

|縷々| |回想|


エリザベス女王崩御以降、若い頃に渡英した際のあれこれを、日々思い出して居る。
否、正確には自らの意思とは関係なく、ぶわーっと記憶が蘇ってくる感じだ。90年代に三回、イギリスとスコットランドを旅した。何れもロンドンを拠点とした滞在で、バッキンガム宮殿の辺りも頻繁に歩いて居た気がする。女王に対しての個人的な想いどうのこうのと云うよりかは、自分にとって最もエネルギーに溢れ、興味の趣くままに歩き回り、吸収し、かけがえのない経験を積んだ時代に、間違い無くその大きな原動力であった英国に在り、そしてそこには常に女王が居たのだよなぁ、と云うことへの感傷なのだと思う。

ロンドンでは地下鉄やバスを乗り継いで、行きたいところへ行った。レコード屋や古着市をめぐって、脚が棒になるまで街をほっつき歩いた。ときにはやって来たバスにひょいっと飛び乗って終点まで行ってみた。そうやって降り立った街は知らない街で、知らない街の小さなレコード屋で7インチを買い、通り向かいの喫茶店ホットチョコレートを飲んだ。宿に居たイタリア人たちと仲良くなって、別れるときはとても寂しくて泣いた。夏にはレディングにも行った。ロンドンだけじゃない。スコットランドにも思い出が沢山在る。とめどなく溢れるよに出て来て、いくらでも思い返せるのだ。

「改めて思うんだぁ。あのとき誘ってくれて、本当に有難うね」二回目のときの同行者だったAちゃんが、しみじみとした口調でそう云った。そうだねぇ。”あのとき””あの時代”に行ったから出会えたことの全てが、まさしく今の自分たちを作って居て、そして当たり前だけれど、それはもう二度と経験できないのだねぇ。
どうだろう。恐らくは、もう英国を旅することは無いかも知れないけれど、もし仮に再度訪れることが叶ったとしたら。そのとき私は、ロンドンの変容を目の当たりにして、流れた月日の長さを実感するのであろう。そして又、かつての面影の残る、或いは当時と変わらぬままの風景や街角の佇まいを不意に見付けては、言葉にできぬ思いにそっと胸を熱くするのであろう、とも思う。

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