双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

園芸覚え書

|庭仕事|


以下、作業日誌など。

【一月五日】
■葉取り終了
鉢植え、地植え共に全てのバラの葉取りが終了。
風の無い穏やかな陽気の午後に冬作業。昨年末辺りから、毎日少しずつ色付いた葉を摘んで居たので作業が非常に楽だった。


【一月六日】
■マルチング堆肥づくり
バーク堆肥にカニガラとボカシ肥を適量混ぜ込んだものを、冬の株元にマルチングとして使用するため、暇を見ていつでも敷けるよに、予め混ぜ込んだものをバケツに一杯半程拵えておく。

■今後の作業予定
一月中に行うべき冬作業

  • 木立ちバラの仮剪定
  • つるバラの剪定及び誘引
  • 残りの鉢の土替え、及び土替えしなかったバラへの施肥

尚、バラの土替え作業で出る古土だが、拙宅ではしっかり再利用して居る。
土ふるいにかけて細かな根やゴミなどを取り除いた後、丸一日お日様の下で日干し。そこへ古い土の再生資材*1とバーク堆肥を追加して空き袋に保存しておけば、汎用性の高い園芸用土として十分に使えるので、ちいとも無駄にはならぬのである。

*1:ハイポネックスの「土のリサイクル材 5L 」を使用。

謹賀新年

|雑記|


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元旦の朝。いつも通りの時刻に目覚ましで起き、
いつも通り律儀に雁首揃えて待つ、猫らのご飯の支度。
ただし、おせち代わりの一寸したおかずを添えて。
今年の元旦は、訳在って在宅でのんびり過ごす。
親類総出の新年会も無く、皆が其々の家での正月である。
午後。以前に録画し損ねた、ますむら氏の「ネコメンタリー」は特別編。
主の傍らで暖を取る猫らと共に、しみじみとしみじみと。
氏の朴訥とした言葉の調子ににんまりとし、
原稿用紙に刻まれる線の書き込みに見入り、
何気ない日常の一コマは愛おしく、
瑞々しい庭の緑は目に沁みた。
猫たちの和毛を包む、美しい光の繭。


さてさて。
新年明けましておめでとうございます。
世知辛いご時世は相も変わらずでありますけれど、
どうか皆様にとって善き年となりますよに。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

年の瀬に書いておきたかったこと

|徒然|


 数か月に一度、高速道路を使って三時間もかけて通って下さるNさん。本とコーヒーが大好きで、凛と古風な佇まいに、控え目な物腰の中にもキリリ、芯の強さの感じられる女性。近頃知ったのだけれど、法律関係と云うお仕事柄、身勝手や狡さなど人間の嫌な部分を見ることも多く、そうした中で澱のよな思いが積み重なって疲れてしまうと、(小柄で華奢な体付きからは想像できぬよな格好良いスポーツ車を)ビュンとすっ飛ばして一路、こちらへ伺いたくなるのです、と云う。世の中の理不尽さや、利便性ばかりが求められることへの疑問などなど。私がふと漏らした小さな憂いを通して、彼女も同じよな憂いを感じていると知り、お互い生きづらい世の中ですね、と苦笑いし、しかしながらNさんは「でも、私は諦めたくないのです。良くなることを諦めてしまったら、そこから希望も無くなってしまうでしょう?だから、せめてここに居る私たちだけでも信じましょう」と口元をやさしく緩ませた。
そんなNさんから或る日、一通の手紙が店に届いた。この店が在るから、私は私らしく居られる。落ち込んでも失望しても、ここへ来て大好きな本を読み、コーヒーを飲んで時間を過ごせば、もやもやと心に立ち込めた霧がすうっと消えてしまう。だから遠くても通い続けるのです。こんな場所は他にありません、心から有難う。以前にお薦めした本へのワクワクするよな感想と共に、要約するとそんなことが書かれて居て、私は何度も何度も手紙を読み返し、心からどうしようもなくこみ上げる思いを堰き止めることができなかった。白地に箔押しの小さなバラの花の入った、品の良い封筒と便箋は、彼女の佇まいそのものだった。

 月に数回、近郊の町から通って下さるKさん。以前にチョコレートを頂戴したエピソードを書いた()。ついこないだ、もし宜しかったら…と紙袋一つ分の本を寄贈して下さり、どれも素敵な本ばかりで恐縮して居たら、にこりと笑って、本を「処分する」と云う云い方は好きではないけれど「手放す」と云えば、私の手を放れても別の人の手に渡って、そこでまた新しい本の人生、と云うか本生が始まるって気がするでしょう?こちらでこの本たちが第二の本生を始められるなら、手放してこれ以上嬉しいことはありません、と。ずっと気になって居た本。読みたかった本。購入を迷って居た本。どの本も皆、この店の本棚に最初から並んで居るのが当たり前みたいな、実にピッタリの選書で、Kさんが店を愛して下さって居るのが、じんわり伝わってきた。

 長屋で古くお付き合いが在り、幾度か店も訪ねて下さって居るTさん。夏の頃だったろか、彼女から素敵な思い出のお裾分けが届いた。二枚の絵葉書。送って下さったTさんのお気持ちと絵葉書に溢れる懐かしい絵柄へ、私自身の懐かしい記憶も重なって、胸がきゅうっとなって。仕舞っておくのが勿体なくて、額に入れて、店の壁面のいつも目に付く所へ飾った。水色のポップで元気なのと、色鉛筆のふんわりやさしいのと。この前を通るたび、嗚呼、お守りみたいだなぁ、としみじみ思う。
 そう。理不尽に辟易したり、いがいがとささくれ立ったり、悲しみを通り越した諦めに支配されそになったとき。彼らの分けてくれた、これら小さな欠片の集まりが「大丈夫、大丈夫。わたしたちはこうして、いつもあなたを見守って居るよ」そう囁いてくれて居るよに感じて、はっと我に返るのだ。

何度も何度も、書きかけては書けなくて、けれどどうしてもこの年の瀬に、書いておきたかったこと。有難う。有難う。

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