双六二等兵

ポッケにさすらい 心に旅を 日々を彷徨う一兵卒の雑記帖

台風一過

|雑記|


■一夜明け、台風一過も未だ北風だけが轟々と残って居る。朝六時に起床し、坊っちゃんらにいつもよか早めの朝御飯を食べさせた後、いそいそと店の具合を確認に向かう。万端の備えの甲斐在り、あれだけの暴風雨だったにも拘らず何事も無く済んだ。やれやれ。


■外回りを粗方の確認後、小屋に避難させたお嬢の元へ急ぐ。何しろ昨晩は凄まじい荒れようだったので、雨漏りや吹き込みが非常に心配だったのだが、お嬢共々こちらも無事*1。お嬢はと云えば、思いのほか元気で変わり無く、多めによそっておいたカリカリをしっかり食べ、水を飲み、きちんとトイレで用も足してあった。偉い偉い。


■台風は去ったものの、事後処理に追われる職種の方々も多かろう。河川沿いの線路では冠水した箇所も在ったらしく、未だ鉄道が動いて居ない。安全確認などの作業のため夕刻まで運転見合わせとのことなので、Aちゃんが出勤できず已む無く本日も休業。昼を食べたら、再びせっせと元へ戻す作業に取り掛かろう。

*1:自分で云うのも何だが、素人が建てた小屋にしては、結構大したもんよね(笑)。

暁に東の方を見よ

|雑記|


最大級の警戒が呼び掛けられて居る、超大型台風の間近に迫る中、
未だ様子の静かなうちから、店の表回りの片づけやら補強やら。
せっせせっせと、独楽鼠のよに、着実に防災の準備を整える。
何と云っても、手塩にかけたオールドローズのお嬢さん方。
秋に入ってぐんぐん伸びて来たので、何としても枝葉を守らねば。
動かせる鉢入りさんは軒下へ取り込んで、構造物へロープで固定。
動かせぬものは枝を結わえるなどして、可能な限りの保護をし、
植木鉢やバケツ、椅子、脚立などは外階段の下へ移動。
他、コンパネで覆ったり。重量ブロックを並べたり積んだり。
細々したものを全て店内へと取り込み、日よけを外したら、
梯子を屋上へ上って、アンテナのケーブルなどを確認。
怪しい箇所は結束タイで固定し、ついでに螺子も締め直す。
ポリ容器に水を汲み置き、ランタンに新たな電池を入れた。
ふむ、こんなものかしら。未だ何か在ったかしら。
午後にようやっと一段落して、ふとご近所を見渡せば、え?
どうしたことやら、お隣さん以外は、どのお宅もそのまんま。
即ち、来たる嵐への準備も対策も、なさる気配が全く無いヨ!
土地柄とは云え、こうなると暢気さも或る意味、罪である(笑)。


しましまぁ、この黙々着々と進める備えは戦に臨むが如く。
ヘルム峡谷での合戦前夜みたいだなぁ、などと思う。
となれば凶暴な台風は、差し詰めアイゼンガルドの軍勢か。
尤も。合戦どころか、こちらは籠城するしか無い訳だけれどもさ。
お外っ子のお嬢の身が目下心配であるが、明日の早朝までは
一先ず軒下の寝箱で過ごして貰って、雨風の酷くなる前に黒焦げ荘()
もとい”Blackburned Cottage” (笑) へ避難させるつもりである。
以前の大雨の際にも、緊急避難させて一晩過ごして貰ったし、
勝手は心得て居ることと思うけれど、丸一日ってのは初めて。
何にせよ、こんな緊急事態のためにも、小屋を建てておいて良かった。

つるバラとの対話

|本|

つるバラのすべて

つるバラのすべて

日本におけるつるバラの第一人者、故・村田晴夫氏。恐らくつるバラに関して、この人に並ぶ人は誰も居ないのじゃなかろか。氏は惜しくも2011年に急逝されたけれど、亡くなる数年前に書かれた本書は、頁数こそ約120と決して多くは無いものの、書名に「すべて」と在るとおり、個人が自らの庭でつるバラを育てるために必要な知識や技術、心得などの事柄が惜しみなく網羅され、氏が生涯をかけて地道に積み上げて来た哲学が、そのバラへの深い思いと共に詰まって居る。実に中身の濃い、素晴らしい一冊である。


写真や挿絵へ添えられた言葉のひとつひとつに、バラへのひたむきで純粋な思いが滲む。

冬の誘引を終えた風景です。花を咲かせるための特別な誘引はしていません。いまある枝を大切にし、強い剪定は行っていません。一年間大切に育てた枝を粗末にする必要はないのです。
誘引は心のあり様が表れるように思います。花の咲き方は、人の誘引が半分。後の50%はつるバラまかせ。バラに助けられながらの誘引となります。一本一本、枝の特徴や曲がり方などを活かして組み合わせます。枝の持つ癖が風景へと変わってゆく様を楽しみながら。古い枝ほど愛おしいと思えることがあります。

剪定で大切なのは、どうしてその枝を切るのか、考えることです。(中略)
「伸びたから切る」「不要だから切る」というのも答えですが、邪魔だからという理由で花が咲く枝を切るのであれば、植える場所や使い方を間違えている可能性が高いということになります。
切った枝はもう戻りません。つるバラの一本の枝には多くの可能性が秘められていることを、繰り返しますが、忘れないでいただきたいのです。


バラの誘引や剪定について説くとき。具体例や技術的な解説だけでなく、情緒や感性、心のあり様までをも含めて説く人が、果たして居たろうか。
園芸的に正しいとされることばかりが、必ずしも全ての正解となるとは限らないことを、氏は教えてくれる。バラも人も同じ生き物で其々に個性が在り、其々に違う。安易に考えず、気を急がず、一本の枝を大切に育てて。気長に素直におおらかに向き合い、バラの声にそっと耳を澄ませ、対話し、親しく心を通わせる。そう云うことなのだと思う。

<